『スパイの妻(映画)』キャスト・相関図・あらすじネタバレ!

邦画

戦争に翻弄される夫婦の愛憎を、情緒あふれる映像で描いた『スパイの妻』。

スパイ容疑にかけられ「愛か大儀か。」の選択を迫られる夫に高橋一生、どんなことがあろうとも愛を貫こうとする妻を蒼井優が演じます。

そんな予測不能のラブ・サスペンス映画『スパイの妻』のキャスト・相関図・あらすじネタバレをご紹介いたします。

Sponsored Link

映画『スパイの妻』キャスト一覧

福原聡子蒼井優

 

優作と結婚して7年になる妻。横浜の百貨店で売り子として働いているときに優作に出会い結婚して神戸にやってきた。満州から戻ってきた夫の異変に気づき行動を起こす。“スパイの妻”と罵られながらも強い信念で優作への愛を貫き通す女性。

福原優作高橋一生

主に医薬品の輸入を行っている神戸の商社「福原物産」の経営者。自由を愛する性格。イギリス商人のジョンが手掛けていた仕事を引き継ぎ、満州に渡る。そこで、恐ろしい国家機密を知ることになり、反逆者と疑われ憲兵に目をつけられるようになる。

竹下文雄坂東龍汰

優作の姉の子(優作の甥)。子どもの頃から学業優秀で東京の帝大に入学したが、人付き合いが苦手で成績が落ち込み、卒業後の就職先が見つからないでいたところを、優作が福原物産に拾い上げた。語学堪能なため優作の秘書兼通訳をし、満州へも同行した。満州から帰ってくると、突然 小説家になると言い出すが…。

駒子恒松祐里

福原家で働き始めたばかりの若い女中。

金村みのすけ

優作の父の代から福原家に勤めている執事。

津森泰治東出昌大

横浜の憲兵部隊に所属していたが、神戸港のスパイ監視強化の増員募集に応じて異動を志願し神戸にやってきた。聡子が横浜にいた頃の実家の近くに住んでいた幼なじみで3歳年上。幼少期は聡子が家来のように扱っていた。聡子に好意を寄せているため、優作や聡子の行動に忠告をする。

草壁弘子玄理

有馬旅館『たちばな』の仲居をしていたが、突然失踪し水死体として発見される。泰治によると陸軍軍医の愛人で、優作らと共に満州から日本に戻って来て、優作の口利きにより旅館の仲居の仕事をしていたらしい。

ジョン・ドラモンド◆

フレザー商会という海運会社の大阪・神戸支店長を任されている英国人。商品の運輸だけでなく、イギリス人と日本人の取引仲介も行う。優作とは仕事を通して知り合い意気投合し仲の良い友人のような関係。しかし、憲兵隊にスパイ容疑で逮捕され、神戸にいられなくなり上海に渡った。

野崎医師笹野高史

大阪と神戸でいくつもの病院を経営する医者で、福原物産が医薬品を卸す取引先。福原家の主治医でもあり、優作の父とは公私共に親密な関係だった。ことあるごとに優作の純粋さ故の危うさを心配している。

-Sponsored Link-

『スパイの妻』相関図

『スパイの妻』あらすじ

『スパイの妻』あらすじ

1940年の太平洋戦争開幕前夜の神戸港で福原聡子は、仕事で一月半 満州へ渡った夫・優作の帰りを待ちわびていた。

しかし帰国後の優作は、まとっている空気そのものが変わったようになり、憲兵からもスパイ容疑で目をつけられ始まる。

聡子も不安を感じているときに、憲兵で幼なじみの泰治から、優作が満州から連れて帰った草壁弘子が水死体として見つかったと聞かされる。

「夫婦の間に秘密などない」と言っていた優作が、草壁弘子という女性の存在を隠していたことに聡子はショックを受ける。

夫は、満州で何を見て、何を隠しているのか。

優作と弘子の仲を疑った聡子は、夫が満州から持ち帰った重大な秘密を見ることに…。

夫が金庫に隠していた重大な秘密を知った聡子は、驚くような行動をとることに。

『スパイの妻』ここからネタバレ


スパイの妻 (講談社文庫) [ 行成 薫 ]

『スパイの妻』のここからがネタバレとなります。 結末を知りたくない方はご注意下さい。

『スパイの妻』ネタバレ

優作と草壁弘子の関係や、隠し事を知るために聡子は、夫が出張に行っている間に、金庫を開けることにした。

金庫の中には、文雄から優作に託されていた小包あり、映写機のフィルムと日本語で書かれた手帳、英文が名並んだ文書が入っていた。

小説家になるといって旅館「たちばな」で文雄が籠もっていたのは、英文の文書を日本語に翻訳するためだったのだ。

そして聡子は悩んだあげく、泰治に連絡をとり小包を渡した。

その結果 文雄は憲兵に逮捕され、凄まじい拷問を受け、植物人間になってしまった。

優作が、文雄の件を聡子に問いただすと、聡子は「私を巻き込まないようにして下さったのかもしれませんが、私はあなたの妻です。あなたがスパイになるなら私はスパイの妻になります!真実を話してください。」と言った。

聡子の決意が固いことを知り、優作は満州で起こったことを話し始めた。

優作が満州で見たもの

1940年満州に渡った優作は、医薬品の調達の仕事の説明を聞くため、新京にある関東軍の司令部に向かった。

そこで、涼やかな目元が印象的な長身の美しい女性・草壁弘子と出会い、関東軍が行っている恐ろしい実験を知ることになる。

満州にいる日本軍は、病原菌を兵器として使用するため、街にわざとペスト菌をまき、一般市民に感染させ「細菌戦」の研究をしていた。

また草壁弘子は、軍の関係者ではなくイギリス人のスパイの妻であり、優作に「日本軍のやっている“細菌戦”の実験や研究資料をアメリカに公表して止めて欲しい」とお願いしてきた。

優作は、聡子との幸せな生活を考えたが、知った以上は後戻りはできないと、草壁弘子の頼みを承諾した。

そうして、優作は、日本軍にスパイ活動がバレてしまった草壁弘子を、細菌戦の研究を行っていたフィルムと一緒に日本に連れて帰ることにしたのだった。

優作と聡子は渡米を決断

優作の満州での出来事をすべて知った聡子は、「二人でアメリカに密航して、フィルムを公表しましょう。」と提案。

密航は危険で過酷なため優作は、自分一人で行う予定だったが、聡子が優作とどうしても離れたくないというので一緒に渡米することを承諾した。

危険を少しでも減らすために、二人は二手に分かれてアメリカへ行く計画をたてた。

聡子は神戸から貨物船に乗り直接サンフランシスコへ、優作はイギリス人でソ連のスパイであるドラモンドから原版のフィルムを受け取るため、上海に立ち寄りアメリカに渡ることにした。

そのための、密航とアメリカでの生活費を捻出するため、日本円を宝飾品や宝石に変え持ち出すことにした。

計画実行

1941年夏ー優作は一足先に1週間の出張という名目で、神戸の自宅を出発した。

そして次の日には、聡子も神戸港の貨物船のなかの木箱に身を隠し、サンフランシスコ行きの船の出航を待っていた。

すると 突然 、貨物船の中に泰治が率いる憲兵隊が乗り込んできて、木箱にの中にいる聡子は見つかってしまったのだった。

憲兵隊分隊庁舎では聡子の取り調べが、泰治によって行われた。

机の上には聡子が持ち出した映写機やフィルムが並べられ、泰治は「福原優作はどこですか?」と尋ねた。

聡子は「知らない。軍の機密が保存されたフィルムを見れば分かる」と答えた。

映写機が準備され、フィルムが回されると、そこに映し出されていたのは日本軍の細菌実験の様子ではなく、以前、優作が 聡子と文雄に演技をさせ、趣味で映画撮影した映像だったのだ。

優作の嘘の計画の上で踊らされていた聡子は、笑い出し「私の夫はスパイではありません!私は、私はー」と言い出そうとした瞬間、泰治に頬を張られ倒れた。

「いいかげんしろ。この売国奴め!」と恫喝された聡子は、地下牢に放り込まれた。

次の日、地下牢にいる聡子のもとに泰治がやってきて、聡子を助けるために芝居を打ち、暴力を振るったことを詫びた。

そして聡子は、貨物船に密航者がいると憲兵に通報してきた声の主が、女性だったと知らされるのだった。

その頃優作は

その頃、無事に、ドラモンドからフィルムを受け取った優作は、上海の港からアメリカ行きの船に乗り込んでいた。

そして、その船の甲板には草壁弘子が立っていた。

亡くなったはずの草壁弘子が、なぜここに居るのか..

1940年ー「たちばな」の仲居として潜伏していた草壁弘子は、居場所が軍にバレてしまい逮捕されそうになっていた。

そこで優作は、野崎医師に頼み、身寄りのない女の死体を調達してもらい草壁弘子の死を偽装してもらった。

おまけに草壁弘子は、野崎医院の掃除婦として、別人になりすまし憲兵たちの目を欺いていた。

そんな草壁弘子の誘いで、優作は、聡子を日本に残しイギリスのスパイとなることを決めたのだった。

聡子を日本に置いていくことに迷いはあったが、泰治に聡子のことを頼んだため、一人で行動することに踏ん切りがついたのだった。

アメリカへ聡子は日本で

「スパイの妻」と陰口をたたかれながらも4年が過ぎた頃、聡子は野崎医師の病院で看護婦として働いていた。

そして、聡子は優作と、別れの日に交わって授かった娘・八重子を出産していた。

ある日 聡子は、野崎医師から「僕はあらかじめ優作が聡子さんを残して米国に行こうとしていたのを知っていた。」「優作は葛藤して決めた答えで、聡子さんを捨てていったわけではない。」と知らされた。

そんな時、空襲が始まり聡子は、野崎医師と病院を飛びだした。

頭の上からどんどん焼夷弾が降ってきて、野崎医師は直撃して亡くなってしまった。

聡子も、地面にひれ伏し、死を覚悟したが、寸出のところで泰治がやって来て、助かったのだった。

その泰治は、スパイを取り逃がしたことで分隊長ではなく予備役になっていた。

そして戦争が終わったことを機に、聡子と泰治は地元の横浜に戻り再婚し、八重子と三人で暮らしたのだった。

2020年の八重子

聡子の子ども八重子は、75歳になっていた。

八重子が長年住んでいた横浜の自宅を引き払うため、息子の喜久雄家族が片付けを手伝いにきてくれていた。

その作業の途中に、「スパイの妻」と書かれたフィルムと映写機が見つかり、八重子は不安を覚えるも、皆で鑑賞することになった。

そこにはオープンカーに乗っったり、指輪を空にかざして、はしゃぐ母の姿が映っていた。

八重子にとって、顔も人となりも知らない父は、冷血漢で身勝手、そして母は気難しく笑わない母だと思っていたが、映写機で映し出された二人は幸せで愛し合っているように見えた。

母にも父にも、こんなに笑える日々があったことに嬉しさと寂しさを感じながら、八重子はそっと涙をぬぐうのだった。-END-

映画『スパイの妻』公開日

『スパイの妻』は、映画公開の前にNHKBS8Kで2020年6月6日に放送されました。

そして、ドラマ『スパイの妻』の劇場版が10月16日から東京・新宿ピカデリーほか全国で公開されることが決定しています。

ぜひ8Kスーパーハイビジョンで撮影された美しく、情緒あふれる映像を劇場でお楽しみください。

-Sponsored Link-

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。