渋沢栄一の子孫の現在と家系図を画像付きで紹介!100人以上の孫が存在?
2021年大河ドラマ『青天を衝け』のモデルにもなっている渋沢栄一。実業家として多くの会社や団体を生み出してきた渋沢栄一の子孫が、現在どんな仕事についているか気になりませんか?そこで今回は、渋沢栄一の家系図や子孫の現在をご紹介いたします。
渋沢栄一の家系図
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渋沢栄一の子孫の現在
渋沢栄一(1840 – 1931)。実業家。一橋家に仕え幕臣となり、渡欧。維新後は大蔵省に入り、金融・財政制度の制定に尽力。辞職後、第一国立銀行、王子製紙、大阪紡績など約500社もの企業の設立に携わり、日本資本主義の発展に貢献した。 pic.twitter.com/sqlXc0P2P3
— 肖像画bot(試験運用中) (@botportrait) July 12, 2020
渋沢の子孫は100人以上?!
渋沢栄一は、 「子どもには多くの財産を残すのではなく、学問を残すべき。」「適材適所もあるので、むやみに家業を継がせない。」という考えを持っていました。
そのため、子供、孫、ひ孫を見ても実業家は少なく、教授、学者、画家、音楽家、エッセイストなど文化人を多く輩出している家系です。
また 栄一は、花柳界では5本の指に入る遊び人だったことから、前妻・ちよ、後妻・かねの間に生れた子ども9人の他に、妾の間に生まれた子どもが20~50人存在するとも言われています。
驚くことに、妻と妾を同じ家に住まわしていたこともあるそうです…。
正確には分かりませんが、栄一の血を引く子孫は、 100人以上はいるのではないかと思います。
90を越えるまで実業家としバリバリ働いていた栄一でしたが、女性関係も生涯現役だったようです(笑)。
次に、渋沢栄一の子孫が、現在どんな仕事に就いているのか、代表的な人物を見ていきましょう。
渋沢栄一の子供
穂積歌子(長女) | 日本初の法学博士、東大教授の穂積陳重に嫁ぐ |
阪谷琴子(次女) | 第4代東京市長・阪谷芳郎に嫁ぐ |
渋沢正雄(三男) | 元日本製鉄副社長 |
渋沢英雄(四男) | 元東宝会長 |
栄一の実質的な経営者として知られるのは、東宝取締役会長、田園都市取締役、目黒蒲田電鉄監査役などを歴任した 渋沢英雄です。
秀雄には、親戚筋の女性と結婚し2男2女をもうけるも離婚。(次女の華子は小説家として活躍)
晩年は寵愛していた花柳界の女性と結婚しています。
長男の篤二は、新橋の芸者にのめり込み、栄一が注意するも妻を追い出して結婚すると言い出したので、栄一は篤二を廃嫡(相続する権利を廃すること)としました。
栄一は、子供の女グセの悪さには、頭を悩ましていたそうで、渋沢家の家訓には、
「子弟には卑猥なる文書を読ましめ、卑猥なる事物に接せしむべからず。また芸妓芸人の類に近接せしむべからず」
を掲げていたそうです。
自分は地位も名誉もある立場だったから、女性関係も大目に見られていたけれど、子ども達には女にうつつを抜かして、世間から非難されないように気をつけろと言いたかったのかもしれません。
渋沢栄一の孫
渋沢敬三(篤二の長男) | 日本銀行総裁、大蔵大臣。祖父・渋沢栄一の子爵位を継ぐ |
穂積重遠(歌子の長男) | 法学者、最高裁判事 |
鮫島純子(正雄の次女) | エッセイスト |
栄一の孫の代の代表する後継者は、日本銀行総裁、大蔵大臣を務めた 渋沢敬三です。
敬三は動物学者になりたかったが、敬三に期待する栄一自ら土下座をして、第一銀行を継ぐように説得され、英法科に進学しました。
幣原内閣では大蔵大臣まで務めたものの、その傍らで多くの民俗学者に莫大な援助をして育てあげたそうです。
幼少期に諦めた動物学者への思いを、学者を育てることで癒していたという話もあります。
エッセイストになった 鮫島純子さんは、幼い頃の祖父・栄一の思い出をつづった『祖父・渋沢栄一に学んだこと』を出版しています。
純子さんにとって栄一は、孫たちの遊びをニコニコと眺め、頭をなでてくれた優しいお爺ちゃんだったそうです。
栄一のひ孫
渋沢雅英(敬三の長男) | 渋沢栄一記念財団理事長、東京女学館理事長 |
大川慶次郎(大川義雄の長男) | 競馬評論家 |
玄孫の代になると、ご存命の方もチラホラおられます。
渋沢雅英さんは、渋沢栄一記念財団という公益財団法人の理事長を務め、いまなお関心が寄せられる栄一についての講演も行っています。
また、 大川慶次郎さんと言う方は、競馬の予想屋として通算4度パーフェクトを成し遂げ “競馬の神様”と呼ばれた人物です。
父が競走馬のオーナーをしていたため、幼少期より競馬に興味を持ち、サラリーマンを経たものの晩年は、競馬解説者としても活躍されました。
最後に
会社、事業、団体など600以上の団体を生み出した渋沢栄一ですが、その子孫たちは、ほとんど継いでいないことが分かります。
これは、子孫が楽な生活ができるような遺産を残さない「不買美田」の考えが影響しているように思います。
今後は、大河ドラマ『青天を衝け』の放送で、栄一だけでなく、その子孫の活躍も今後は注目されるかもしれませんね。
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