【岩田剛典の家系図】華麗なる家族と松岡修造との関係は?
お坊ちゃんであることで知られる三代目J SOUL BROTHERSのダンサー岩田剛典。そんな岩田さんの家系図を見てみると、けた違いの御曹司であることが分かりました。さらに元プロテニスプレイヤー松岡修造さんの関係もあきらかに!今回は、岩田剛典さんの家系図と華麗なるご家族をご紹介いたします。
岩田剛典の家系図!松岡修造とは親戚?!
◆岩田剛典の実家はマドラス創業
マドラス本社にきた pic.twitter.com/5GyYZabejh
— 👞立岡靴工房👠世界中の足元をゴキゲンにする (@TatsuokaShoes) October 16, 2019
剛典さんの実家は、靴の一流ブランドで知られる マドラスを創業一族です。
明治6年(1873)に剛典さんの曽祖父・岩田武七さんが軍靴の靴底金具を作る「岩田商店」を始めたのが、マドラスの最初でした。
マドラスの由来は、靴に使われる最高級の革が、インドのマドラス地方で手に入ることから、”madras”に敬意と感謝を持って付けられました
その後、亜細亜製靴株式会社となり、アメリカから靴機械を輸入して靴そのものを製造し始め1983年にマドラスを創業。
日本人なら誰もが知る靴メーカー・マドラスが岩田さんのご実家とは、本物のお坊ちゃんですね。
◆岩田家は旅館も経営
下呂温泉 湯ノ島館 へ行って来ました🎵
とっても レトロで素敵な宿でした❤️
お料理も美味しかったです🙆 pic.twitter.com/7BzCkYhwyN— ゆず (@mithuyo605) June 14, 2017
岩田家はマドラス以外にも、下呂湯ノ島館という旅館を経営しています。
昔、下呂温泉が水没したときに地元から頼まれた岩田家。そして、大規模な掘削工事を行い見事に温泉を掘り当て、湯之島地区に温泉採掘権を手にして今に至ります。
現在、下呂湯ノ島館は剛典さんの兄である岩田公一さんが社長を務めています。
公一さんは、フジ・メディア・ホールディングスの社長の娘さんと結婚。結婚式には剛典さんはもちろん三代目 J Soul Brothers も出席し、余興でパフォーマンスを行い盛り上がったそうです。
◆岩田剛典の父はマドラス4代目社長
岩田剛典さんの父親は、マドラスの4代目社長・岩田達七さんです。
達七さんは、慶應義塾大学経済学部卒業生であることから、剛典さんにも物心ついた頃から「慶應に行きなさい」と呪文のように唱えていたそうです。
そんな達七さんですが、現在はダンサーとして成功した剛典さんを応援するために、ダンスシューズブランド「JADE」を立ち上げました。
「JADE」というブランド名は、剛典さんが慶應義塾大学時代に所属していたダンスサークル「Dancing Crew JADE」に由来します。
息子さんのためにひと肌脱いだお父様ですが、「JADE」は、そのカッコイイデザインと、ソールやグリップの良さから履きやすい!とダンサーに大人気のブランドになりました。
◆岩田剛典の家系図
岩田剛典さんの家系図を、簡単にまとめてみました。
すると、見慣れた人が親戚にいるではないですか!そう熱血キャラでお馴染みの 松岡修造さんです。
◆岩田剛典と松岡修造は親戚
元気ないときは松岡修造を見ることをおすすめするよ pic.twitter.com/nelQyXRjUp
— 千歳 (@chitose_RIP) May 21, 2021
まず剛典さんの岩田家と、修造さんがいる松岡家は、 サントリー創業一族である鳥井家を間に挟んで繋がっています。
簡単に説明すると、剛典さんの叔祖父・誠三さんの次女英子さんが、鳥井家の※佐治信忠さんと結婚して親戚関係となりました。
※鳥井家の直系なのに、佐治となっているのは佐治信忠さんの父・佐治敬三さんが幼い頃に母方の親戚に養子縁組をして姓を変えたからです。
一方、松岡修造さんの家系は、修造さんの伯祖母の春子さんがサントリー創業者の息子・鳥井吉太郎さんとご結婚され、親戚になっています。
つまり、岩田剛典さんと松岡修造さんは血の繋がりはありませんが親戚関係となります。
それにしても、松岡修造さんの家系も阪急グループ創業者!家柄が良い人たちは、集まるんですね~。
岩田剛典の実家は地元でも有名な豪邸
岩田剛典さんの家柄がすごいことは分かりましたが、以前、テレビで紹介された剛典さんのご実家も度肝を抜かれるような豪邸だったのでご紹介します。
三代目JSoul Brothersの岩田剛典の実家が凄い件#3JSB pic.twitter.com/PvHkcgmXhc
— Eternal_in_Flame (@EternalBrain) January 19, 2015
門をくぐって玄関までが長い!ちょっとした散歩です。そして現れたのがバカでかい建物1号館。さらに増築した2号館もあるそうです。
家を棟ではなく、館と数える時点で、その大きさが伺えます。
そして、広~いお庭には、たまにタヌキ、孔雀も出没し、タケノコの生えるそうですよ。
岩田剛典は壮絶な受験戦争を勝ち抜いた
父親も慶応出身であり、将来は家を継ぐため剛典さんも慶應に進学することを、決められていました。
慶應への中学受験のため小学校から、家庭教師を頼み、小学校高学年になれば毎日のように地元・名古屋の河合塾に通い1日10時間も勉強に励みました。
その河合塾の模試でトップを獲るまでになった剛典さんでしたが、さらに友人の親が経営する塾にも掛け持ちで通い、見事慶應に合格しました。
ちなみに、実家が塾を経営する友人は、I Don’t Like Mondays.のボーカルYUさんです。
岩田剛典×YU かっこええええ@MusicVoiceEnt pic.twitter.com/kFwx8wyAwy
— Ay (@gun_3jsb6) January 29, 2021
親が経営者同士ということもあり、家族ぐるみで仲の良かった剛典さんとYUさんは、受験戦争を戦った戦友であり幼なじみだったのです。
それにしても、こんな近くでスターが二人生まれているとは驚きですね。
中学から慶應に入学した剛典さんはエスカレーター式で慶応大学へ入学。そこでダンスに出会いサークルに入りダンス漬けの毎日を送ります。
大学4年生に頃には大手企業の内定をもらっていたのに、パフォーマーになることを決意して内定を辞退しました。
大手企業の人事担当の人からは、 「内定を断ったのは後にも先にも君だけだよ。」という言葉をかけられたといいます。よほど人気の企業だったのでしょう。
三代目JSBへ加入することを両親に話した剛典さん。父は「先のことをきちんとと考えて人生選べよ!」と猛反対。幼少期から教育ママだった母は、泣き出したそうです。
現在は、両親とも剛典さんの仕事への取組みをみて見直し、出演するテレビ番組はチェックしてLINEで連絡をくれるなど応援じてくれているそうです。
女優宮澤エマの家系図と家族構成は⇒こちら
最後に
岩田剛典さんの家系図や家族を調べてみたら、顔良し、頭良し、家柄良し、まさに名古屋が生んだ本物のプリンスであることが判明しました。
大手企業の内定を蹴ってまで、夢を追いかけパフォーマーとなり、俳優としても活躍している剛典さんをこれからも応援したいですね!
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