宮澤エマの家系図と華麗なる家族構成!元総理の祖父との関係は?
朝ドラ『おちょやん』では60歳の老婆を演じ、2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも出演を控えるなど女優として大活躍の宮澤エマさん。第78代内閣総理大臣を務めた宮澤喜一氏のお孫さんであることでも有名ですね。そこで今回は宮澤エマさんの華麗なる家系図と、家族の経歴をご紹介いたします。
宮澤エマの家系図
宮澤エマさんの祖父は、元内閣総理大臣の宮澤喜一さんということは知られていますが、ご家族や親せきにも、 政治家や 実業家が多くいらっしゃる家系です。
現在、宮澤さんは独身で、家族は父、母、姉の四人家族です。
◆エマさんの父親 クリストファー・ラフルアさんは、元駐日代理大使。
◆母・ 啓子さんは、宮澤喜一元首相の娘にあたり、元CAで現在は実業家としてジュエリーの輸入・通販ビジネスを行う会社の社長に就いています。
◆姉の サラさんは、母と同じく女性向けのブランドを立ち上げ実業家として活躍しています。
では、もっと詳しくエマさんを含め家族の経歴を見ていきましょう。
宮澤エマの家族の華麗なる経歴
女優◆宮澤エマ
日本で生まれ、父の仕事の関係で3歳でアメリカに渡ったエマさんは、英語が全く分からない環境から、3か月は現地の子どもと口をきかなかったそうです。
この頃から歌やお芝居が大好きで、歌手になるためにヴォイストレーニングも10年以上続けていました。
バイリンガルになって欲しいというご両親の意向でインターナショナルスクールを卒業後、バラク・オバマ前大統領も通ったという2007年オクシデンタル大学へ入学したエマさんは、大学3年生の頃にケンブリッジ大学へ留学。そこで音楽に触れる機会がさらに多くなり、改めて自分が歌や音楽に関わる仕事に就きたいと強く思うようになります。
しかし、芸能界に入っても、ダンスが出来るわけでも、演技が上手いわけでも、バラエティーで気の利いた返しが出来るわけでもなく「自分は一体、何がやりたいいのだろう?」と悩むようになったエマさん。
そんな頃、母親のツテを頼ってミュージカルのオーディションに参加できることになり、見事合格。それをキッカケにミュージカル女優の道が開けたのでした。
宮澤エマがミュージカル女優だったと初めて知った。 pic.twitter.com/SDGAbZCnH5
— Toshiyuki Fujiwara (@104Fujiwara) November 28, 2017
今では、知的で明るいキャラクターを生かし、ニュース番組のコメンテーターを務め、女優としては朝ドラ『おちょやん』の栗子役を好演、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、重要なキャラクターを演じることも発表されました。
女優としての地位を確立しつつあるエマさんに、もう“総理大臣の孫”という肩書は必要なさそうです。
祖父◆宮澤喜一
元自民党総裁・総理大臣・宮澤喜一
「自由は突然なくなるのではない。だんだんなくなっていくんです。気がついたときには酸欠でどうにもできなくなっている。はじめのときを気をつけるしかないのです。自由が侵されそうになるあらゆる兆しに、厳しく監視の目を向けなければならないのです」 pic.twitter.com/zAsugwKqRQ— 槇村浩2 (@FYkGrilnECR2INu) July 1, 2019
エマさんの祖父にあたる宮澤喜一さん。喜一さんは、父の宮澤裕さんも政治家という家系に生まれ、自身も初当選した1952年から49年間に渡り政界で活躍した方です。
東京大学・法学部政治学科を卒業した秀才ですが、堅物ではなく、茶目っ気のある性格であることは知られています。
しかし、政治記者がつまない質問をしようものなら、笑顔から急に真顔になり、大きいギョロッとした目で「他になにか?」と睨みつけるなど、厳しさもあったそうです。
歴代総理には珍しく英語も得意で、戦後に大蔵省入りをしたキャリア官僚だった頃にはGHQと英語で交渉。さらに、記者に聞かれたくない話があれば、妻の庸子さんとも英語で会話していたそうです。
政治の世界では、厳しかった喜一さんですが、妻や孫のエマさんなど、身内には優しい方だったそうです。
父◆クリストファー・ラフルア
ACCJ President Christopher LaFleur introduces U.S. Vice President Mike Pence to an audience of Japanese and American business leaders pic.twitter.com/jXkfukOyyO
— ACCJ 在日米国商工会議所 (@AmChamJapan) April 19, 2017
エマさんの父親は、アメリカ人のクリストファー・J・ラフルアさんです。
元米国外交官だったクリストファーさんは、JPモルガン証券株式会社副会長、政府関係・企業責任担当、在日米国商工会議所(ACCJ)の会長など重役を歴任したスゴイ方です。
エマさんによれば、父のクリストファーさんと祖父の喜一さんは、朝からよく難しい話をしていたそう。
クリストファーさんは日本語が話せるにもかかわらず、二人は英語で会話していたそうです。
宮澤喜一さんは、政界屈指の極端な学歴主義者だったことでも知られているので、優秀なクリストファーさんはお気に入りだったのでしょうか。
母親◆ラフルアー宮澤啓子
エマさんの母親は、宮澤喜一元首相の長女で、慶大法学部からアメリカに渡り、コロンビア大学ビジネススクール(MBA)卒業した才女です。
その後、フランスに留学した啓子さんは、ルフトハンザ・ドイツ航空のスチュワーデス、広報部として勤務。
広報部での経験を生かして、外資系化粧品会社の広報・広告ディレクターへと転職。
その頃に、アメリカの外交官をしていたクリストファー・ラフルア氏と出会い結婚。
クリストファーがパリに赴任したことをきっかけに、デザイナー森英恵さんのプレタポルテ販売会社に勤務しました。
現在は、長年の海外生活から旅行や日常生活に便利なトラベルジュエリーを日本に初めて紹介し、商標登録。「有限会社クラブ・サー」を設立し、社長に就任しました。
トラベルジュエリーとは、普段使いできる、お手頃だけどラグジュアリーな気分を味わえる宝飾品のこと。
啓子さんは153cmと小柄なため海外では子ども扱いされたりするのが嫌で、頑張って本物のジュエリーを付けたそうですが、小さくて貧相なものしか購入できなかったそうです。
そんな経験から、たとえフェイクでも本格的で見栄えのするジュエリーを付けたいという思いからトラベルジュエリーの会社を立ちあげ、輸入・通販のビジネスを始めました。
こうしてみると、啓子さんは総理の娘であること、子どもがいるから…と甘んじることなく、アグレッシブに人生を選択してきた女性であることが分かりますね。
姉◆ラフルアー宮澤サラ
MM.LaFleur apparel company tailored to Houston’s ‘C-Suite’ professional woman https://t.co/AHwYMM70M4 pic.twitter.com/RcapSPAIXo
— Goygar (@GoygarLand) April 13, 2019
エマさんの姉にあたるのは、ラフルアー宮澤サラさんも、これまたハーバード大学卒業の秀才です。
大学卒業後は、コンサルティング会社や投資グループで働き、自分の夢だったファッションブランド「MM LaFleur(エムエムラフルアー)」をニューヨークで立ち上げ、2013年に会社を設立しました。
金融会社を退社してブランドを立ち上げた姉に、妹のエマさんは最初は驚いたそうですが、「忙しい女性に、少しでも服選びにかける時間を少なくさせてあげたい。」というサラさん考えにすぐに共感し、応援したそうです。
現在、会社は全米に8店舗を構え、購入者は20万人を超えるまでに成長。
姉のサラさんは、実業家であるお母さまの影響を強く受けているように感じますね。
超お嬢様!宮澤エマと祖父との仰天エピソード
エマさんが18歳になるまでご健在だった元総理の宮澤喜一さん。
エマさんによれば、意外にも総理の孫だからと特別扱いされることは少なかったそうですが、エピソードを聞くとやはり普通のおじいちゃんと孫との関係ではなかったようなのです。
◆実家は首相官邸
祖父である宮澤喜一元内閣総理大臣が現職時代に過ごしていたのは首相官邸。
一時期、エマさん家族は、週末は宮澤喜一さんと過ごしていたそうで首相官邸は実家のような感覚だったといいます。
◆テストって100点意外の点数があるの?
ある日、エマさんがテストで92点を取ったことを褒めてもらおうと、祖父の喜一さんに見せたところ「100点意外の点数ってあるの?」と笑われたそうです。
それもそのはず、宮澤家は祖父は東大、母は慶應、姉はハーバードと超高学歴の家系。
厳しく、毒舌家だった喜一さんらしいエピソードですが、エマさんが芸能界に入ると決めたときは、反対もせずに応援してくれる優しいグラン・ダッドだったそうですよ。
◆政界進出を打診された
歴代総理の中でも政策通、経済通、英語通であり、官僚にも一目置かれていた宮澤喜一さん。
そんな偉大な祖父の孫であるエマさんは、政治家や支持者と接することも多かったそうで、「エマさんに、この国を変えて欲しい」と政界進出を打診されることもあったそうです。
自分が政治家になろうとは、少しも考えていなかったエマさんは、ただただ反応に困ってしまったと明かしています。
◆二人っきりで出かけたのは?
エマさんと喜一さんが二人っきりで出かけたのは、たった一度。
エマさんが誕生日のときに喜一さんに「何か欲しいものはあるか?」と聞かれ、エマさんは当時大流行していた「たまごっちが欲しい」と伝えました。
喜一さんは孫の願いを叶えるために、原宿にあるキディランドに一緒に行くことになりましたが、さすがに二人っきりで行かせてはもらえず、警護をするためSPさんが同行したそうです。
原宿は、都内でも人の多さで知られていますが、宮沢総理が歩くとモーゼの「十戒」のように人がサーッと避け、道ができたそうです。
そのときに初めてエマさんは、おじいちゃんは凄い人なんだと実感したそうです。
店に到着した喜一さんは、いきなりレジに行き「たまごっちください!」大きな声で言ったそうですが、店員さんに「ちゃんと並んでください。」とたしなめられたそうですwww
結局、売り切れて買えなかったそうですが、喜一さんは、その後なんとかか たまごっちを入手しておじいちゃんの面目を保ったそうです。
政治以外に興味のない宮澤元総理らしいエピソードですね。
◆ゲームも本気
宮澤家では、お正月にみんなで集まったときに、よく神経衰弱をしていたそうです。
そこで、姉のサラさんが負けて泣こうものなら、喜一さんは「泣いてどうにかなると思うんじゃない。」と子供相手に叱ったそうです。
何事にも真剣勝負だった喜一さんなのでした。
◆2千円札を自慢するも…
当時、喜一さんが大蔵省(現財務省)にいたときに、新紙幣である2千円札が導入されました。
喜一さんは嬉しそうに「紫式部、きれいでしょ?」とエマさんに自慢していたそうですが、世間で「2千円札って微妙…」という雰囲気が流れると、喜一さんは動揺し目が泳いでいたそうです。
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最後に
宮澤エマさんの家系図を見ると、元総理の祖父はもちろん、両親、姉も高学歴の超ハイスペックな家系であることが分かりました。
しかし、お嬢様であることを鼻にかけず、地道に女優としてキャリアを積んでいるエマさんには好感が持てますね。
朝ドラでその演技力が評価され、全国区になった宮澤エマさんが、これからどんなキャラクターを演じていくのか楽しみにしたいと思います。
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