『潜水艦カッペリーニ号の冒険』実話ネタバレと相関図&キャスト
厳格な日本海軍軍人と戦争の狭間に取り残された陽気なイタリア人との国境を越えた友情を描いたドラマ『潜水艦カッペリーニ号の冒険』が2022年1月3日(月)21時より放送されます。そこで今回は、ドラマをもっと楽しむため『潜水艦カッペリーニ号の冒険』のキャスト相関図と実話をご紹介いたします。
『潜水艦カッペリーニ号の冒険』キャスト一覧
速水洋平◆二宮和也
大日本帝国海軍少佐。融通が利かないが、誰よりも強い愛国心を抱いており、曲がったことが嫌い。
速水早季子◆有村架純
小学校教員であり、速水の妹。
頑固な兄をさりげなくサポートするしっかり者。
イタリア人のアベーレに一目ぼれされプロポーズされる。
廣田正 大佐◆堤真一
速水の上官。お気楽に見えるが、俯瞰で物事を捉える冷静さと的確な判断力を兼ね備えている。
阿部虎太 少佐◆今野浩喜
速水の同期で、一方的にライバル視している。イタリア人を敵国人として執拗に嫌い、攻撃的な態度を取る。
尾上克郎 大尉◆音尾琢真
速水の部下。義理人情に厚く、熱い大和魂を持ち、誰よりも速水のことを尊敬している。
鈴木早苗◆愛希れいか
早紀子の同僚教師。速水が想いを寄せている女性。
高倉清人◆未発表
早苗の生徒。イタリア人艦乗りに興味を抱く。
アンジェロ◆パオロ
イタリア人の艦乗り。
アンジェロ役はオペラ歌手のパオロさん。「じゃあいいですぅ」というフレーズで『AirPAY』のCMでもおなじみです。
アベーレ◆ペッペ
イタリア人の艦乗り。早季子に恋をする。
ペッペさんは、漫画家、モデルとして活躍しているイタリア人です。ホリプロ所属。
シモーネ◆ベリッシモ・フランチェスコ
イタリア人の艦乗り。
シモーネを演じるベリッシモ・フランチェスコは料理研究家でタレントとしても活躍しています。
『潜水艦カッペリーニ号の冒険』相関図
『潜水艦カッペリーニ号の冒険』あらすじ
1943年9月、太平洋のど真ん中、潜水艦コマンダンテ・カッペリーニ号が日本へ物資輸送のために向かっていた。出発時は日本と同盟を組む枢軸国だったイタリアだが、カッペリーニ号が出航した後、イタリアは連合国側に寝返っていた。乗組員のイタリア人・アベーレ、シモーネ、アンジェロは渡航中にまさかイタリアが日本の敵国になっていることなどつゆ知らず、日本から大歓迎を受けると期待に胸を膨らましていた。ところが、長旅を終えようやく日本に到着した3人を待っていたのは鬼の形相をした日本海軍少佐・速水洋平(二宮和也)だった。速水はカッペリーニ号を戦闘用に武装し直して帝国海軍に編入させる計画を立て、その艦長の座につくことになる。そして、操艦する乗組員として、捕虜になったアベーレ、シモーネ、アンジェロが採用される。一方、ひょんなことから、妹の早季子(有村架純)はそんなイタリア人たちの面倒を実家の旅館で見ることになるが、アベーレが早季子に一目ぼれしてしまい、この恋沙汰が速水の逆鱗に触れることに・・・!
『潜水艦カッペリーニ号の冒険』の実話のモデルとなったイタリア軍人とは?
1940年~1943年頃 ラファエロ・サンツィオという男が、イタリアの潜水艇コマンダンテ・カッペリーニ号に乗り込みました。
日本に戦争物資や水銀、キニーネと呼ばれるマラリア用の薬などを送りこむためです。
しかし、彼らが海の中にいる頃、イタリア国内で政権交代が起こり、イタリアは連合国側に寝返ってしまいます。
そのため艦乗りたちは、命がけでたどりついた日本で歓迎されると思いきや、敵国ということで捕虜収容所にぶち込まれることに…。
イタリア軍の上層部で何が起こっているか全く知らされていなかった彼らは困惑します。
そして、乗組員には二つの選択肢が与えられます。
●捕虜になる
or
●枢軸国として戦う
そして、ラファエロを始め、ほとんどの乗組員は ドイツと日本と一緒に戦闘を続けることを決意します。
まずカッペリーニ号はドイツ軍に編入させられ、海上の警戒任務にあたります。
その後ドイツが降伏したため、今度は日本帝国海軍に接収され、ラファエロたちは 日本海軍の一員となりました。
そして、日本人とイタリア人で構成されたカッペリーニ号は、太平洋海上で敵のアメリカに囲まれた状況でありながら懸命に戦い、終戦を迎えます。
やっと人々に平和が訪れたと思ったのも束の間、ラファエロたちにとって戦後は、戦時中よりも過酷なものとなりました。
●GHQに捕らえられ、裏切者として逮捕される。
●イタリア海軍からは階級を剥奪され、戦争年金の支払いを拒否される。
このような祖国の仕打ちに、ラファエロは絶望。
「軍の偉い人たちは、僕を裏切者あつかいしたが、僕はただ祖国の名誉を守るため、やるべきことを最後までやり遂げたまでだ。」と後にインタビューで答えています。
真の裏切者は、連合国に寝返ったイタリア軍の上層部であることを皮肉っているようにも聞こえますね。
その後、ラファエロはイタリアに帰ることなく 日本人女性と結婚します。
そして、妻の姓から ラファエロ小林に改名。日本人として生き、90歳を過ぎた頃に、横浜で亡くなりました。
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