岡本太郎の家系図!母は岡本かの子で従兄弟は俳優の池部良
戦後日本が生んだ最大の前衛芸術家である岡本太郎の家系図から、両親や親せきについてご紹介したいと思います。
岡本太郎の家系図と両親
岡本太郎といえば、燃え上がるような生命の躍動感を感じさせる作品と、「これこそが芸術だ!」と思わせるような奇想天外な言動が魅力ですよね。
そんな太郎を生み育てた両親は、どのような人物だったのでしょうか。
まずは、家系図から見てみましょう。
◆岡本太郎の家系図
◆母は作家の岡本かの子
#愛妻の日
岡本一平と岡本かの子 pic.twitter.com/KkiMBfaARq— Kamala🏳️🌈🏳️⚧️☮️ (@GumiKamala) January 31, 2020
芸術家である岡本太郎に最も影響を与えた女性が、明治から昭和を奔放に生きた女流作家・岡本かの子です。
かの子は自分について、「私は3つの瘤(こぶ)を持つラクダである」と話すように、短歌の歌人、仏教研究者、小説家という3つの顔を持っていました。
一方、彼女の私生活は謎めいており、さらにスキャンダルに満ちていました。
かの子は、夫の一平をどうしても愛することができず、白塗りの厚化粧を施し、夫と子どもがいながら、若い愛人を家に同居させることもありました。
太郎は「母親を持った記憶がなく、可愛がったことはあるかもしれないが、面倒を見てもらったこともない」と語っています。
◆父は漫画家の岡本一平
そんな奔放な妻と競うように個性的だったのは、父で漫画家の岡本一平。
一平は、かの子と結婚した当初は、貧乏絵描きでしたが、新聞小説の挿絵が評価され朝日新聞の社員に迎えられます。
しかし、かの子はそんな一平の活躍を喜ぶどころか、平凡な人生を歩む彼に不満を感じていました。
一方、一平もそんなかの子に嫌気がさし、収入が増えたことをいいことに、芸者や酒に溺れていきました。
そんななか、かの子が敬愛する兄が突然亡くなってしまいます。
悲しみに暮れ、精神を病んでしまうかの子を見て、さすがに気が咎めた一平は、かの子に歌集を出すことを提案します。
そして、かの子は歌集作りに没頭するあまり、息子の太郎を柱に縛り付けたりもしたそうです。
その後、夫婦生活は安定を取り戻し、長女・豊子が誕生しますが、平穏な日々はほんの束の間。
再び一平が放蕩を始め、家庭を顧みない生活を始めます。
一平は、収入のほとんどを呑み代に使うため、家計は火の車でした。
◆奇妙な夫婦生活
かの子は、家庭での絶望を埋めるかのように、彼女を崇拝していた早稲田の学生である堀切茂雄と恋に落ちます。
そんな若き文学青年との恋を、かの子は妹のきんにだけ話をしていましたが、ある日かの子は、下宿で茂雄ときんが一緒にいるところを発見。
激情したかの子は、正気を失い、精神病院に入院することになったのです。
そんな妻を心配した一平は、「そんなに好きなら、手元に置いて一緒に暮らせばいい。」とかの子と茂雄の同居を公認。
そこから、夫、妻、愛人との奇妙な生活が始まり、かの子はどちらの子か分からない次男・健二郎を出産します。
しかし、健二郎は、生まれてわずか6か月でこの世を去り、かの子と茂雄の恋も終わりました。
◆夫婦は仏教の世界へ
茂雄を失い、孤独のなかに身を置くかの子、複雑な感情に苦しむ一平、そして幼くして地獄のような家庭を知った太郎は、再び家族3人での生活を始めます。
その後、心身共に疲れきっていた一平とかの子は、お互いを憐れんだ挙句、夫婦そろって仏教に救いを求めます。
倫理観と自分の情熱との間で苦しんできたかの子は、仏教にのめり込み、本まで出版しました。
それから心機一転、一家は引っ越しをして、平穏な生活を送り始めます。
生きる喜びを見つけたかの子に安心した一平は、仕事に専念。
日本の著名な漫画家の一人となり、時代の寵児としてもてはやされました。
その頃 岡本家は、慶大生の恒松安夫を書生として預かり、かの子の愛人で外科医の新田亀三も同居をはじめます。
◆一家で欧州旅行へ
昭和4年、一平が特派員として軍縮会議に行くことになり、かの子は妻として欧州に同行することになりました。
さらに、息子の太郎、書生の恒松安夫、かの子の愛人・新田亀三も一緒でした。
パリの空気を存分に満喫した一平とかの子たちは、もっと芸術を勉強したいという太郎を残して帰国します。
そしてかの子は、ナルシズムに支えられた太郎への愛を描いた『母子叙情』など数々の小説を発表。
しかし、小説を書き始めて3年後ー。
かの子は脳溢血のため49歳でこの世を去りました。
パリで知らせを聞いた太郎は、泣きながら街をかけずり回ったそうです。
岡本太郎の妻のような存在は岡本敏子さん
“男と女は支えあって生きるのだ。──ほんとうにそう言いきれる、パートナーを持ちえた人は、人生の勝者です。何でも出来るの”
大阪万博招致が決まってふと「芸術家岡本太郎を支えた岡本敏子さんってどんな人やったんやろ?」と本買って読んでみたらやっぱぶっ飛んでて情熱的で芯の強い女性やった pic.twitter.com/RBBhYDFtLc
— たっつん🌟ゆるかわイラスト (@tatsuun7) November 24, 2018
岡本太郎には正式な妻はいませんが、養女の岡本敏子さんが人生のパートナーでした。
太郎が主催した「夜の会」で出会い、恋に落ちた太郎と敏子さん。
しかし、太郎は夫婦という形に苦しんだ両親のこともあり、敏子さんとは婚姻関係を結ばず、遺産を相続できるように養女としました。
遺産相続では、子供がいない場合の妻の取り分は1/2となり、残りは親族のものとなります。
岡本太郎は作品を売らなかったので、自分の作品を全て敏子さんに残して管理してもらうため、「妻」ではなく遺産を100%相続できる「養女」にしました。
敏子さんは妻として秘書として、芸術家の夫を生涯支え続け、太郎が亡くなったあとも、インタビューや著書によって彼の再評価をはたらきかけました。
最後に
世間が求める父や母の「型」にはまることなく、太郎を一人の人間として扱ってきた かの子と一平。
その後、太郎はパートナーとして支えてくれた敏子さんのおかげで、日本を代表する芸術家となりました。
今回、彼の生い立ちを知ることで、その恐ろしいまでの生命力あふれる作品を、少し違った角度から見ることができました。
この記事へのコメントはありません。