やなせたかし【家系図】妻との結婚や兄弟・子供などの家族構成

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子どもたちに大人気の「アンパンマン」の作者やなせたかしさんをモデルにした朝ドラ『あんぱん』が2025年の春から放送されます。そこで今回は、遅咲きの偉人とも呼ばれる やなせたかしさんの家族について家系図を用いてご紹介します。

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やなせたかしの家系図

やなせたかし(本名:柳瀬 嵩)さんは、1919年(大正8年)2月6日に父の故郷である高知県の香美市香北町で生まれました。

やなせたかし記念館アンパンマンミュージアムも生誕の地にあります。

柳瀬家の先祖は平家の落人で、江戸時代から続く庄屋であり地元では名家とされています。

やなせさんの詳しい家族構成にいくまえに、まずは やなせさんの家系図を見てみましょう。

やなせたかしの家系図&相関図

※無断転載ご遠慮ください。

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やなせたかしの家族構成

父:柳瀬清

やなせさんの父・清さんは、上海に留学して、日本郵便、講談社を経て朝日新聞の記者になりました。

清さんは、非常に優しく、休日のたびに遊びに連れていってくれ。毎日おみやげを持参して帰宅するような人で、やなせさんもとても懐いていました。

また清さんは、絵、詩、物語を愛する人で、その影響を受けてやなせさんも絵を描くことや本を読むことが子どもの頃から大好きでした。

しかし、やなせさんが4歳のとき、清さんは特派員記者として向かった中国の広東で33歳の若さで亡くなってしまいました。

母:登喜

やなせさんの母は、登喜さんといって大地主の娘で裕福な家で育ちました。

清さんと結婚し、二人の子どもにも恵まれ幸せに暮らしていましたが、夫の清さんが亡くなったことにより生活が困窮します。

そこで登喜さんは、親戚を頼って高知市に引っ越し、洋裁をしながら生活を支えました。

登喜さんは、しつけに厳しかったそうですが、映画や芝居が大好きで、よくやなせさんを連れて映画館にも行っていたそうです。

また、美人で派手好きな登喜さんの周りには常に男性の影があり、周囲の人はあることないこと噂していたといいます。

しかし、やなせさんは、いつもきれいにしている母が好きで、悪口を言われても気にしなったそうです。

祖母:山内 鉄

その登喜さんの母で、やなせさんの祖母にあたるのが山内鉄さんです。

鉄さんは留守がちな登喜さんに変わって、やなせさんの面倒を見ました。

やなせさんに対しては、とても甘く、やなせさんが大きくなっても添い寝するなど溺愛しました。

そのため、やなせさんは過保護に育てられ、貧しいのに世間知らずのお坊ちゃんなってしまったそうです。

弟:千尋

やなせさんには2歳と年下の弟・千尋さんがいました。

色白で目が大きく、快活な千尋さんは誰にでも愛され、父が亡くなると開業医をしていた清の兄・柳瀬寛さんの養子となりました。

器量が悪かったやなせさんは、周囲から容姿を弟と比べられ、生涯を通じてそれがコンプレックスとなりました。

しかし、やなせさんは弟のことが大好きでした。

母・登喜さんの再婚を機に、弟が養子となった柳瀬医院にやなせさんも引き取られ、兄弟一緒に暮らしました。

優秀だった千尋さんは、京都大学に進学しますが、戦争のため特別攻撃隊を志願します。

そして「人間魚雷」と呼ばれた小型特殊潜航艇に乗って任務地に向かう途中のフィリピン沖で、敵の攻撃を受け22歳で亡くなってしまいます。

やなせさんは弟が出発する前に、一度だけ会えましが、自身も中国に戦地に向かったためそれっきりだったそうです。

千尋さんは、子供の頃「コンパスで描いたような丸顔」だったといいます。

やなせさんは、自分の顔を食べさせる「アンパンマン」の丸い顔を書くとき、ふと千尋さんのことを思い出すことがあるそうです。

妻:小松 暢

やなせさんの妻・暢(のぶ)さんは、高知新聞初の女性記者として働いているときに、やなせさんと出会いました。

「月間高知」という月刊誌の編集部で暢さんと一緒に仕事したやなせさんは、彼女のてきぱきとした行動や明るくハッキリした性格に惹かれました。

ある日、やなせさんと暢さんは取材帰りに突然の雷雨が過ぎたあとの、夜の街を一緒に歩いていました。

すると暢さんは「もっと雷が鳴ればいい。やなせさんの赤ちゃんが産みたい」と告白。

それを聞いたやなせさんも心が燃え上がり、結婚に至りました。

結婚後は、しばらく仕事がなかったやなせさんに代わり、暢さんは代議士の秘書、日本自転車振興会などで働いてやなせさんを支え続けました。

やなせさんが成功してからも、やなせさんが仕事に専念できるように、その他の仕事をすべて引き受けました。

そんななか、暢さんは乳がんを患い、余命3カ月を宣告さるも6年を生き延びて75歳でこの世を去りました。

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やなせたかしさんと関わりのあった著名人

手塚治虫

やなせさんは、漫画界の巨匠である手塚治虫さんと「漫画集団」の忘年会や新年会で顔を合わす程度の間柄でしたが、ある日 手塚さんは長編アニメ「千夜一夜物語」のキャラクターデザインをやなせさんに依頼しました。

アニメのキャラクターデザインなどやったことがなかった やなせさんは不安でしたが、なんとかキャラクターを完成させました。

結果、「千夜一夜物語」は大ヒット。

手塚治虫は御礼にとポケットマネーで「短編アニメーションを自由につくってください」とやなせさんに話します。

そして、やなせさんは「やさしいライオン」を制作し、毎日映画コンクールの大藤信郎賞を受賞することになったのです。

サンリオの社長

当時山梨シルクセンター(のちのサンリオ)の社長・辻信太郎は、一風変わった人で出版社でもないのに やなせさんの詩集「愛する歌」発行。

「愛する歌」はサンリオの業績を上げるほどの大ヒットをし、辻はやなせが作りたいと希望した雑誌「詩とメルヘン」の一切を任せました。

この「詩とメルヘン」は、サンリオのスピリットともいえる作品となりました。

向田邦子

やなせさんが映画雑誌の連載をしていた頃、原稿を取りに来ていたのがまだ小説家として駆け出しだった向田邦子さんでした。

向田さんと気が合ったやなせさんは、一緒に展覧会に足を運ぶなど交流を深めていきます。

シナリオライターになった向田さんの原稿にやなせさんが直しを入れることもあり、向田さんが小説家として成功すると挿絵を描いたりしました。

しかし、向田さんが直木賞作家となってからは、やなせさんが気遅れしてあまり会うことはなくなっていったそうです。

ある日、向田さんが航空機事故で亡くなったことを知った やなせさんは、絶句したそうです。

最後に

やなせたかしさんの家系図を振り返ってみると、両親を早くに亡くし、弟は戦死するなど家族を早くから失っていたことが分かりました。

しかし、その悲しみを埋めるように最愛の妻・暢さんと出会い、結婚。

ユニークで優しい人柄もあり、多くの著名人から愛された人生を送ったことが分かりました。

朝ドラ『あんぱん』では、やなせさんの妻を主人公に、やなせさんと交流のあった手塚治虫さん、向田邦子さん、青島幸男さんなども登場します。

「戦いに勝つことではなく、ひもじい者に食べ物を与えることだ」を信念に「アンパンマン」を生み出した遅咲きの偉人・やなせたかしさんの物語は、朝から元気をもらえそうですね。

放送は2025年春スタートです。お楽しみに。

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