デヴィ夫人の若い頃はきれいだけじゃない!英語力や経歴もすごい!

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現在は、バラエティでも活躍しているデヴィ夫人ですが、若い頃はビックリするような美人であったことは有名ですよね。

しかし、デヴィ夫人は美しいだけでなく、大統領夫人になった経歴や英語、フランス語などが堪能で語学力も素晴らしいものでした。

ここでは、デヴィ夫人の生い立ちから若い頃のきれいな画像、そしてスカルノ大統領との結婚までのエピソードをまとめてみました。

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デヴィ夫人の若い頃がきれい!経歴まとめ

デヴィ夫人の母親も美人だった!

デヴィ夫人(デヴィ・スカルノ)は、東京都に父・兵七郎と母・まさとの間に生まれました。

父親の平七は、自分の生活も苦しいのに、食べるものに困っている人に、おにぎりを分け与えるような優しい人でした。

母の“まさ”は、小さい頃に柿の木に落ちて足が不自由でしたが、若い頃は村中の話題になるほどの美人でした。

出展:NHK「ファミリーヒストリー」より

父親の平七さんも整った顔をしていますが、母親の“まさ”さんはデヴィ夫人と似て本当に美しいですね。

この二人から生まれたデヴィさんは、ハーフやクォーターと噂されていますが、正真正銘の日本人です。

デヴィ夫人の本名

デヴィ夫人の本名は 根本 七保子(ねもと なおこ)。

根本家で7番目の子供(父親の平七は前妻との間に6人の子供がいた)ということで名付けられました。

デヴィ夫人の下には、八曾男(やそお)という弟がいます。

家はとても貧しかったですが、デヴィさんは、それを引け目に感じることなく明るく芯の強い女の子に育っていきました。

オードリー・ヘプバーン並みの美貌で評判に

出展:NHK「ファミリーヒストリー」より

中学校に進学すると、デヴィ夫人の美貌に注目が集まるようになります。

色白で、可憐な少女はオードリー・ヘプバーン並みと言われるほどです。

中学3年になると、働きながら定時制高校に通い、弟の八曾男の大学進学費用を稼ぐために

仕事は、千代田生命の事務員、ウェイトレス、映画のエキストラなどで、必死に働きます。

17歳で高級クラブ『コパカバーナ』へ

出展:NHK「ファミリーヒストリー」より

しかし、父の兵七が亡くなり家計は更に苦しくなり、もっと稼ぐために デヴィさんは17歳でナイトクラブ『コパカバーナ』で働くようになります。

『コパカバーナ』といえば、財界や政界の大物が訪れる日本有数の高級クラブです。

100人以上のホステスが働くクラブの中で、デヴィさんは人気NO.1に登りつめます。

あまりの美貌に、他のホステスが「デヴィさんの顔にして!」と整形外科に列をなしていたそうです。

その美貌で、デヴィさんの給料はそれまでの10倍にまで跳ね上がりました。

デヴィさんの英語は独学

高級クラブ『コパカバーナ』は、外国人のお客様も多かったため、

デヴィさんは、仕事の合間を縫って勉強し、英語を習得していきます。

本場の外国人と会話をするため、発音はネイティブで、ダンスもプロ並みの腕前だったそうです。

弟との悲しい別れ

出展:NHK「ファミリーヒストリー」より

デヴィ夫人が稼いだお金で、弟の八曾男を早稲田大学に入学させることが出来、喜んでいたデヴィ夫人ですが、そこから悲しい出来事が起こります。

いつか八曾男をアメリカに留学させようとデヴィさんは期待していましたが、なんと八曾男は自ら命を絶ってしまいます。

母親が亡くなったショックからや、友人関係のこじれが原因とも言われていますが、真相は分かっていません。

後にデヴィさんは、ジャカルタの宮殿の一つを“ヤソオ宮殿”と名付けました。(現在は軍事博物館)

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スカルノ大統領との運命の出会い・結婚

スカルノ大統領との出会いとは?

出展:NHK「ファミリーヒストリー」より

帝国ホテルのロビーでコーヒーを飲んでいたデヴィ夫人に「ある方が、あなたと話したいといっています。」と声をかけられます。

部屋に案内されると一人の男性が座っていました。

その人物が、戦後賠償の交渉で来日していた インドネシアのスカルノ大統領でした。

出会いから2か月後、スカルノ大統領から手紙を受け取り、そこには

「一緒にインドネシアに来てほしい」と書いてありました。

そして若干19歳でインドネシアに渡ることになったのです。

19歳でインドネシアへ

スカルノ大統領との結婚には、インドネシアへの開発援助という政治的な思惑も重なっていました。

そこで、親族以外には極秘で“看護師”として、デヴィさんはインドネシアへ渡ります。

物おじしないデヴィさんは、スカルノ大統領の中で存在感を増していきます。

22歳でスカルノ大統領と結婚

出展:NHK「ファミリーヒストリー」より

デヴィさんが22歳の時、スカルノ大統領の第三夫人として結婚します。

日本でも大々的に報道され、話題となりました。

東京ドームより大きな宮殿で38人の使用人に囲まれて何不自由ない生活を送るデヴィさんでしたが、

やがて外国のお客様をもてなすなど、政治的にも活躍するようになっていきます。

スカルノ大統領の失脚

1965年(昭和40年)9月30日に起きた軍事クーデターがおき、スカルノ大統領は軟禁状態に。

代わってスハルトが大統領となると、デヴィさんへの風当たりも強くなってきます。

デヴィさんは危険を感じながらも、事態を改善しようとスハルト大統領をゴルフに誘い、そして「スカルノ大統領を開放してくれませんか?」と頼みます。

とても強く、勇気のある行動ですよね。

出展:NHK「ファミリーヒストリー」より

それでも、スハルト大統領は耳を貸さず、子供を身ごもっていたデヴィ夫人は、スカルノの勧めもあり 日本に戻り長女・カリナを出産します。

しかし、日本でもマスコミに追い回され危険を感じたデヴィさんは、子供連れてフランスへ亡命します。

スカルノ大統領の死

スカルノ大統領が亡くなった知らせを聞いたデヴィ夫人は、入国禁止されていたのにもかかわらず、インドネシアに向かい、スカルノと最後のお別れをします。

その後は、インドネシア政府の方針により、第3夫人としての遺産分与され「社交界の華」「東洋の真珠」と称された容姿で、多くの要人らと関係をもちました。

その頃のデヴィ夫人を口説いた男性というのが、また凄くて。

・アラン・ドロン(フランス人俳優)
・サルバドール・ダリ(画家)他多数

こんな歴史的人物に口説かれた彼女が、現在は出川哲郎さんと番組出ているのが信じられない(笑)。

ともあれ、日本での現在の活躍は皆さんご存知でしょうが、79歳になった今でも、バラエティで持ち前の行動力で人気者となっています。

そして、デヴィさん同様に、世界でも名を知られる日本女性「オノ・ヨーコ」さんの記事は、以下にまとめてありますので、ご覧になって下さい。

まとめ

デヴィ夫人の経歴を振り返ると、現在のバラエティでのデヴィさんには考えられない、波乱に満ちた人生でした。

若い頃の写真は、驚くような美貌の持ち主であり、その容姿だけでなく芯の強い女性であることが分かりました。

これからも、テレビでのご活躍を期待しています。

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