『エアガール』相関図・キャストと実在モデル

国内ドラマ

戦後すぐ占領下の日本は、「航空禁止令」のもと、飛行機保有はもちろん教育や研究も禁止されていました。そんな激動の昭和に、日本の民間航空再開の日を夢見た人々の奮闘を描いたのがドラマ『エアガール』です。そこで今回はドラマ『エアガール』のキャスト・相関図とモデルになった人々をご紹介いたします。

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『エアガール』相関図

『エアガール』キャスト一覧

主要キャスト

佐野小鞠
演・広瀬すず
女性が働くことさえ珍しかった時代に、パイロットを夢見ながらも、「空を飛びたい」という一心で、日本民間航空CA(キャビンアテンダント)=“エアガール”一期生募集に応募。とてつもなく狭き門である試験をくぐりぬけ合格。1週間後には試験飛行に挑むことになり…。
三島優輝
演・坂口健太郎
逓信省航空保安部長・松木静男の部下。パイロットになる夢を抱きながら、敗戦後の日本で民間航空設立に奔走する。料亭で松木の話を立ち聞きしていた小鞠を咎める。

松木静男

演・吉岡秀隆
逓信省航空保安部長。“戦後日本航空業界の父”とも呼ばれ、日本の民間航空設立に尽力。不屈の精神で邁進する一方、部下には温かく接する。実在モデルは松尾静磨。
白洲次郎
演・藤木直人
航空事業は儲からないため海外企業に委ねるべきという考えから、日本民間航空の前に立ちはだかる壁となる。
藤原一郎
演・鶴見辰吾
「日本民間航空」初代会長。実在モデルは、藤山愛一郎。

美代子

演・真飛聖
柳沢の妻で、エアガールたちを温かく見守る。

柳沢誠二

演・田中哲司
「日本民間航空」設立に向けて尽力する。実在モデルは日銀出身の柳田誠一郎。

相原翠
演・山崎紘菜
小鞠の同僚。華族出身でプライドが高い。
伊原雅美
演・藤野涼子
小鞠を励ましてくれる優しい性格の同僚。

志田多美
演・中田クルミ
小鞠の同僚。メンバーの中でも国際派で英語が堪能。

川村陽子
演・伊原六花
小鞠の同僚。最年少で採用試験をパスする。
千代
演・松雪泰子
小鞠の叔母で、料亭を営む。。家族を失った小鞠を引き取って厳しくも温かく育てた。

謎の老紳士

演・橋爪功
現代のシーンに登場する謎の老紳士だが、実は90歳になった三島。

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ドラマ『エアガール』あらすじ

東京の下町で、町工場を営む両親に育てられた佐野小鞠(広瀬すず)は、飛行機部品を作る父の仕事に影響を受けパイロットになりたいという夢を抱いていた。しかし、神風特攻隊として出陣した兄が戦死し、両親も東京大空襲で失い、身よりがなくなった小鞠は料亭を営む叔母・千代のもとに身を寄せた。

一方、第二次世界大戦の敗退で、GHQの占領下におかれた日本は、一切の航空関係の活動を禁じられていた。
戦時中に“神風特攻隊”として恐れられた日本人が操縦席に座ることはもちろん、国内の飛行機はすべて破壊され、教育や研究も禁止されていた。

そんな頃、小鞠は料亭を訪れていた逓信省航空保安部長・松木静男の「日本の空を日本人の手に取り戻したい」という言葉を偶然耳にする。松木の言葉に感銘を受けた小鞠だったが、その場にいた松木の部下・三島優輝(坂口健太郎)に立ち聞きしたことを、とがめられる。

こんななか、吉田茂首相と親交のあった白洲次郎は日本の航空事業を海外へ売却した方が良いと考えていた。松木は白洲の外国の航空会社が日本の空を飛ぶという案に疑問を持ち、「日本人の手で日本の空に飛行機を飛ばすには、まずは日本の航空会社を作らなければならない」という信念を持ち、日本民間航空の設立に奔走した。

敗戦後から6年後ー。GHQと粘り強い交渉を重ねた松木の熱意が実って、日本はようやく民間航空の設立が認められた。小鞠は、かつて料亭で運命的な出会いをした三島から“日本民間航空”がエアガール一期生募集していると聞き、「空を飛びたい」という一心で、仕事内容もわらないまま応募した。

そんな日本民間航空第一回のエアガール募集に集まった申し込みは、なんと1300人。そして、採用されるのは、1%にも満たないという狭き門だった。
小鞠は、とてつもない倍率の試験の中で、数々のピンチを乗り越え合格にこぎつけたが、1週間後には試験飛行に挑むことになり…。

『エアガール』の実在モデル

『エアガール』の実在モデル

ドラマ『エアガール』のヒロイン佐野小鞠のモデルは、小野悠子(旧姓 竹田)さんをはじめとしたスチュワーデス一期生たちのエピソードが元になっているものと思われます。

悠子さんは、神戸で貿易商を営むハイカラな父親の元で育ち、外国への興味も幼い頃から持っていました。女学校に進学した悠子さんの親友は、政治家としても有名な土井たか子さんだったそうです。その後、戦況が悪化すると熊本に疎開し、GHQの図書館で絵本から、少女向けの小説、英字新聞などを読破。まもなく英会話のスクールが開校し、そこで語学力を磨きました。その後、兄を頼り上京し、銀座の天賞堂に勤務し、身に着けた語学力で外国人向けに通訳をしていました。

そんなある日、悠子さんは日本航空のエアガール募集広告を眼にして、空を飛びたい一心で、ためらうことなく応募しました。しかし、当時の悠子さんは、エアガールがどんな仕事をするかは、よく分かっていなかったと言います。また、応募者の中には、戦争で父親や夫を亡くし、お金を稼がなければいけない女性もいました。月の賃金が男性並みに高給なエアガールは、一家を支えたいと思う女性にとっては、かなり魅力的に映ったことでしょう。

そんなこともあって、エアガールの募集は、わずか10日間 新聞に掲載されただけでしたが、日本航空創立事務所には1300通の応募がありました。この様子から、国民がどれだけ民間航空の再会に注目し、女性にとっては憧れの職業だったかが分かりますね。

また、逓信省航空保安部長・松木静男のモデルは、“戦後日本航空業界の父”とも呼ばれた松尾 靜磨さんです。

松尾 靜磨さんは、戦後、日本の民間航空の再建に取り組み、日本航空を設立した人物です。重役になってからも、飛行機に乗る際は、一番最後に乗り、一番最後に降りて、安全に運航されているか確認していたそうです。

また、当時のパイロットたちに “臆病者と言われる勇気を持て”という有名な言葉を残されています。

天候が悪い到着地の空港上空で、ちょっとでも不や危険を感じたら遠慮なく引き返して欲しい。他社機が降りているのに格好悪いとか、臆病と知られてしまうようなことは気にせず、安全を一番に考えて欲しい。

この言葉は現在でも、日本航空では有名な標語として語り継がれています。

当時のエアガールの募集条件

当時の『エアガール』募集要項には、以下のような条件がありました。

・20歳~30歳
・身長158cm以上、体重45kg~52.5kg
・容姿端麗
・英会話可能
・東京在住

募集広告に「八等身美人を!」と言わんばかりの条件を堂々と書いている当たりに時代を感じてしまいますね。いまこんな条件を出せば、女性蔑視ととられることでしょう。

戦時中という困難な時代に、高等教育を受け、外国語も堪能な美しい女性だけが就ける仕事ということで、その華やかさにマスコミも注目し、エアガールの採用試験には記者も駆けつけました。

応募者は、一次の書類審査を通過すれば、二次試験の面接、三次の筆記試験へと進むようになっており、無事、エアガールになった女性たちにはシルバーグレーのツーピースの制服が支給されました。しかし中に着るシャツや靴は自前で、バッグは資生堂のものが提供されましたが、これは無償ではなく、月々のお給料から天引きされたそうです。

もく星号事件

日本航空が発足して、わずか5か月半後の1952年4月9日に起こった「もく星号墜落事件」は、世間に衝撃を与えました。

その日、大阪を経由し福岡に向かう予定の「もく星号」は、羽田飛行場を飛び立ちましたが、伊豆大島上空で消息を絶ち、三原山山腹に墜落。乗務員4名、乗客33名が犠牲者を出しました。
当時の飛行機の運賃は非常に高いこともあって、犠牲者は八幡製鉄社長、炭鉱主、日立製作所取締役、有名な漫談家など社会的地位が高い人物ばかりでした。

「もく星号」の運行を行っていたのは日本航空で、航空機の整備と運用はノースウエスト・ウェスト航空、パイロットはアメリカ人という変則的な運営でしたが、再開されたばかりの民間航空機の事故には、皆が動揺しました。事故の調査も連合国のアメリカが行ったので、不明な部分も多く、航空管制誘導や操縦者のなんらかの過失による墜落と結論付けられました。

この事故後、松尾 靜磨さんは「もく星号の事故は、アメリカ人によるもので、これ以上 航空機をアメリカ人に任すことは出来ない。日本は自主運行するべきだ」として、日本政府やアメリカ側に交渉しました。

その追い風になるように、サンフランシスコ講和条約が発足し、世論も「日本の空は日本人の手で」という高まりを見せ、ついに日本航空は、自前で飛行機を飛ばす本格的な航空会社として動き出しました。

1954年からは国際線も始まり、東京オリンピックの後にはパッケージツアー「JALパック」が発売され、日本人にとって海外が身近なものになっていったのです。

最後に

日本の空を取り戻そうと、民間の航空会社を創業し、その草創期に働いた人々を描いたテレビ朝日ドラマ『エアガール』は、2021年春に放送です。お見逃しなく。

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