『ピーターパン』実在モデルと原作者の生涯!誕生のきっかけは?

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子どものころ、誰もが一度は目にしたことがある「ピーターパンの冒険」。架空の国であるネバーランドを舞台にピータパンとウェンディ、そして海賊たちが繰り広げる夢と冒険に満ちた物語は、繰り返し上映や舞台化され、翻訳された本は世界中で読み継がれています。そこで今回はディズニーで実写化も決定している『ピーターパン』の物語がどのように誕生したのか、実在モデルについてもご紹介いたします。

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『ピーターパン』原作者の生涯と実在モデル

『ピーターパン』の誕生の秘話のまえに、まず簡単にあらすじをおさらいしてみましょう。

ピーターパンの簡単なあらすじ

ロンドンのある夜。

両親がパーティーに出かけているすきに、子ども部屋にピーターパンが飛び込んできました。

長女のウェンディとその弟ジョンとマイケルという3人の子どもたちは、ピーターパンの登場に大喜び。

3人の姉弟たちは、妖精・ティンカー・ベルに金色の魔法の粉を振りかてもらい、夜空を飛びネバーランドへ旅立ちます。

ネバーランドは、子どもたちの心の地図にだけあるどこにもない国。

そこで大人になることを忘れたピーターパンと子どもたちは、海賊のフック船長やインディアンと出会いながら冒険を繰り広げます。

ネバーランドでウェンディは、迷子のロストボーイの世話をするお母さん代わりになります。

しかし、そのウェンディは、フック船長の策略により海賊たちにさらわれてしまいます。

ピータ―パンは、フック船長を倒し、ウェンディたちを助け出します。

こうして、ウェンディったちは、ロストボーイを連れて本当の自宅に帰りますが、大人になりたくないピーターパンだけが再びネバーランドに帰っていきました。

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ピーターパンが大人にならない理由

ピータ―パンの作者はジェームス・バリーで、20世紀初頭のイギリスで活躍した作家です。

スコットランドの織物で有名なキリミュア「という小さな町で、1860年にバリーは生まれました。

織物を営む両親の9番目の息子として誕生したバリーは、本好きの母から読み聞かせをしてもらい物語に親しみながら育ちました。

しかし、バリーが6歳のとき、アイススケートで転倒した兄が亡くなってしまうという悲劇が起こりました。

優秀な兄を亡くした母は、病気となり寝たきりとなり、バリーに愛情を注ぐことができなくなってしまいました。

このときのことをバリーは、

「兄はかたときも、母の胸から離れることはなかった。兄は依然として13歳の少年のままだった。」

と語っています。

バリーは、死ぬことによって大人にならず、母のなかで生き続ける兄を演じることで、母の愛を取り戻そうとしました。

生前の兄が、腰に手をあてて口笛を吹く姿を真似たバリー。

それは、まさに後に発表されるピーターパンのお馴染みのポーズでした。

母のために必死で子どものままでいようとするバリーは、同級生のなかでもひときわ幼く見え、大学生になっても身長は153cmしかありませんでした。

ピータ―パンが大人にならない理由は、作者・バリーの悲しい生い立ちが強く影響していたんですね。

ネバーランドはどこにあるの?

「ネバーランド」という国は、一体どこにあるのでしょうか。

大学を卒業したバリーはロンドンに出て、母の思い出が詰まった故郷の牧歌的な生活を小説にして人気を博していきます。

そして戯曲を書き始め国民的作家になろうとしていた頃、女優のメアリー・アンセルと結婚します。

しかし、結婚したとたん窮屈さを覚えたバリー。

バリーにとって結婚生活は、自分のなかの子どもの部分を失っていくものだったのです。

また、バリーは男性の肉体的な欲求がなく、二人の間に子どもは出来ませんでした。

そんななか母が亡くなり、バリーは心のよりどころを失ってしまいます。

その頃バリーの心を癒したのは、愛犬の・セントバーナードとケンジントン公園を散歩することでした。

そして、公園で素晴らしく可愛いジョージ、ジョン、ピーターという3人の子どもに出会います。

その日からたびたび、公園で犬と一緒に子どもたちと遊ぶようになったバリーは、失われた少年時代を取り戻すように楽しみました。

この公園での日々こそが、ネバーランドのモデルとなりました。

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ピーターパンのモデル

バリーは、子どもたちとの交流のなかで様々な物語を書き上げ、ついに1904年ピーターパン初公演の日を迎えました。

そしてピーターパンの公演は、大盛況。

その後、バリーはピーターパン誕生について兄弟たちに、こんな言葉を残しました。

「私にはこの戯曲を書いた覚えがまるでないと言うことだ。君たちがいなければ、ピーターパンは生れなかった。ピーターパンは私が君たちからこすり出した花火だった。」

そんなある日、バリーはパーティーに出かけた際に、シルビア・デービスという魅力的な女性と出会いました。

偶然なことに、その女性こそ公園でいつも遊んでいた子どもたちの母親だったのです。

結婚生活がうまくいっていなかったバリーは、その日から子どもたち意外にシルビアにも献身的な愛情を注ぐようになっていきます。

家族ぐるみで付き合うようなったバリーとデービス一家ですが、ある日 シルビアの夫で子どもたちの父親・アーサー・デービスが病気のため亡くなってしまいました。

そして、ちょうどぞの頃、バリーの妻・メアリーが不倫をしたことがキッカケでバリーは離婚し、彼はますます愛情をシルビアと5人の子どもたちに注いでいくようになっていきます。

しかし、またしても不幸が訪れます。子どもたちの母親・シルビアが43歳で亡くなってしまいます。

両親を失った5人の子どもたちは、バリーに引き取られることになりました。

このときの子どもたちは、ネバーランドのロストボーイのモデルになったと言われています。

バリーの晩年と子どもたちの悲劇

それから、バリーに引き取られた子どもたちにも不幸が忍び寄ります。

第一世界大戦に参加した長男・ジョージが戦死。

三男のピータ―は、兵士として戦場で悲惨な体験を経験したことで精神を病んでしまいます。

そして、バリが最も愛していた四男・マイケルが20歳のときに水泳中に溺死。

晩年バリーは、

「ピーターパンを書いてから長い歳月を経た今、私はそれを書いた本当の意味が分かった気がする。それは大人になりたいという必死の努力にもかかわらず私自身が成長できなかった悲しみ…。」

と書き記しています。

子どもたちを失い、成長のため自分から離れて行ってしまう寂しさのなか、バリーはピーターパンの版権すべてを小児病院に寄付しました。

もしかしたらピータ―パンのモデルは、子どもたちではなくバリー自身だったのかもしれませんね。

『ピーターパン』ディズニー実写化キャストとあらすじは⇒こちら

最後に

『ピーターパン』誕生を調べてみると、作者・ジェームズ・バリーとデイビス家の5人の子どもとの数奇な運命から生まれた物語でした。

また、キャラクターやセリフなどは、バリーと子どもたちとの交流はもちろん、幼少期の母への喪失も反映されていることが分かりました。

知られざるバリーの生涯を知れば、『ピーターパン』の裏に隠された本当の物語が見えるような気がしますね。

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