冨永愛がパリコレに復帰!海外でずっと評価される理由は

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17歳でモデルデビューし、国内外で活躍してきた冨永愛さんが、2020年に再びパリコレに復帰します。

凛とした姿が息をのむほど美しい彼女を、再びランウェイで見れることは嬉しい限りです。

そこで今回は冨永愛さんのモデルのキャリア、海外での評価をご紹介します。

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冨永愛がパリコレモデルになるまでのキャリア

奔放な母親のおかげで、3姉妹の父親が全員違うという複雑な環境で育った冨永愛さん。

その上、幼少期の頃から悩まされ続けたのが、並外れたスタイルにより、クラスメイトから「宇宙人」と呼ばれ、いじめられていたことでした。

そんな彼女が、どのように一流のモデルに成長したのか調べてみました。

15歳のときにモデルデビュー

15歳のころに、姉が富永さんを読者モデルに応募したところ合格し、『プチセブン』の専属モデルとして起用されました。

中学生にして身長は176cmにもなっていたそうですよ!

モデルになった頃は、思春期ということもあり、やる気もなく無口で可愛げのない少女だったそうです。

そんな富永さんも、テレビ東京で放送されていた “ファッション通信” を見るのは楽しみでした。

ある日、ドルチェ&ガッバーナのショーを放送でみた富永さんは、「美しい!!」と感動し、本格的にモデルへの道を考えるようになりました。

女子高生の姿で「ヴォーグ」に登場

制服のスカートをギリギリまで短くし、ルーズソックスに、ダボダボのラルフローレンのカーディガンを羽織った冨永愛さん。

制服姿でスタジオにフラ~と現れた冨永さんを『そのまま撮影しよう』と写真家レイモンド・メイヤーが撮った写真です。

いわゆる90年代のギャルな女子高生の恰好ですが、 179cmの身長にこの体型なので、めちゃくちゃ目立っていたそうです。

私もアムラー世代なのでよく分かりますが、当時の女子高生は、冨永さんと同じ格好をしていました。

しかし、ここまでカッコ良い女子高生はみたことありません(笑)足ながっ!!(しかもノーメイク)。

この写真がヴォーグに掲載されるやいなや、「ダイヤモンドの原石!」「圧倒的な存在感」と話題になり、冨永さんは東京コレクションなどでモデル活動を始めました。

プロに混じっても遜色ないスタイルに、周囲の関係者は「絶対に海外にいくべきよ」と口をそろえ、その言葉に後押しされた冨永さんは、高校2年生最後の春休みに ニューヨークへ向かったのでした。

まだ17歳の女子高生だった冨永さんは、右も左もわからないまま様々なブランドのオーディションを経て、 ラルフローレンのショーモデルの起用されたのです。

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19歳でパリコレのランウェイに立つ

コレクションとして古い歴史と高い芸術性があるパリコレは、年に2回のファッションウィークに開催されます

パリコレには、

パリ・プレタポルテ・コレクション・・・すぐに着れる高級既製服で一般の客向け
パリ・オートクチュール・コレクション・・・ブランド専属の針子さんが個人のために作る高級服

があり、現在オートクチュールを辞め、プレタポルテに以降するブランドが増えています。

冨永愛さんは、プレタポルテ部門に出演経験があります。

18歳でパリに移り住んだ冨永さんは、日本人家族の家にホームステイし、毎日オーディションをこなす日々を過ごしました。

ランウェイで歩くには、キャスティング→フィッティングのオーディションを通過しなければなりません。

しかも、合格通知の連絡をもらうのは前日の夜であることも多くあります。

そのためファッションウィークでは、いつ呼ばれてもいいように、コンディションをベストな状態に保っておかなければなりません。

日本でモデルというのは、たくさんいますが、ほとんどのモデルは海外では活躍できません。

それは、ハイファッションの洋服は欧米の人を基準に作れられており、 胴が長く足の短い日本人では着こなすことが出来ないからです。

しかし、179cmの長身で、足の長さ、腰の高さは海外のトップモデルにまったく引けをとらない冨永愛さんは、アジア人でありながら多くのデザイナーがラブコールを贈る逸材です。

アジア人の特徴である艶やかな黒髪と、凛とした顔つきも「個性」として評価され、物おじしない、勝気な性格も有利に働き、パリでも大成功を納めたのです。

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出産から6か月でモデル復帰

パティシェの一般男性と結婚した冨永さんは、23歳になったときに、 男の子を出産します。

スーパーモデルの世界は、3年ごとに顔ぶれが変わる厳しい世界。

ピークのとき、周囲の人間はチヤホヤしてくれますが、ショーや雑誌に出られなくなると見向きもされなくなるモデルをたくさん見てきた冨永さん。

そのため出産当時「モデルは長く続けられない。キャリアを捨てて、息子のたまに生きよう」と思っていたそうです。

しかし、子育て中にゆっくり考える時間が増え「やっぱりモデルの仕事が好きだ!」と再認識。

そして出産から6か月後にコレクションモデルとして復帰し、ニューヨーク、ミラノ、パリを子どもを抱えながら行き来することになったのです。

女性にとって出産は大仕事で、体型が変わるのは当たり前。

子どもの世話で寝不足もあったり、めちゃくちゃ大変なのですが、6か月でモデル復帰し、しかも海外で子育てするとは…本当にしんどかったと思います。

絶頂期に引退宣言

海外で日本人としてモデルをやっていくのは、「差別」や「偏見」との戦いでした。

欧米人のモデルと対等に扱ってもらうため、アジア人の象徴である黒髪を金髪にしてパリコレに挑んだ冨永さん。

ジバンシィのデザイナーが、その姿をみるや「素晴らしい!」と絶賛してくれ、、他のショーには一切出ずに特定のランウェイのみ出る、エクスクルーシブという名誉ある特別な契約を結ぶことになりました。

「日本人モデルとして、ここまで登り詰めた」と感じた冨永さんは、コレクションモデルの 引退宣言をしました。

モデルをはじめてから、ちょうど10年となった頃でした。

2020年にパリコレ復帰!

モデルを休業している間は、バラエティ番組やラジオに出演、社会貢献活動をするなど、スケジュールが真っ黒になるほど忙しかった冨永さん。

「無人島0円生活」にスーパーモデル冨永愛が出演していたときは、驚きました(笑)。

そして2020年に10年ぶりに再びランウェイに復帰し、「ランバン(LANVIN)」、「アクリス(AKRIS)」に起用されました。

冨永さんは、復帰して「モデルの待遇がよくなった」と感じたそうです。

2017年に起こったモデルの痩せすぎ問題や、#MeTooの認知などが関係しているのでしょうか。

確かに、最近はプラスサイズモデルなど、モデルの「個性」が重視されています。

37歳という年齢になって、冨永さんがパリコレに戻ってこれたのも、年相応の「余裕」と「個性」が再び評価されたのでしょう。

なお、パリコレ復帰への模様は、フジテレビ『セブンルール』で密着取材され2020年3月24日に放送されます。

見逃した方は以下の記事を参考に。

↓セブンルールを見逃した!再放送は?動画を無料で見る方法!↓

最後に

パリコレで活躍した数少ないトップモデル冨永愛さんは、現在もモデルデビュー当時と変わらない美しさをキープしています。

今後もどんな活躍をみせてくれるのか楽しみですね。

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