『麒麟がくる』明智光秀の生い立ち・濃姫といとこ説・妻との逸話を紹介

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2020年大河ドラマ『麒麟がくる』では明智光秀がモデルとなり、戦国時代を舞台に有名武将が縦横無尽に活躍するストーリーとなっています。

しかし主役の明智光秀の生い立ちには謎が多く、出生地や両親など正確には分かっていません。

この記事では、諸説あるなかから推測される光秀の生い立ちや濃姫との関係、妻との逸話に迫ってみたいと思います。

これを読めば『麒麟がくる』をもっと深く楽しむことが出来るはずです。

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明智光秀の生い立ち・出生地は?

明智光秀の生まれた年

明智光秀は清和源氏の土岐氏・明智氏に生まれたとされています。

江戸時代に書かれた明智光秀を主人公とする軍記物『明智軍記』では 享禄元年(1528年)生まれとされ、天文3年(1534)生まれとされている 織田信長より年上ということが分かっています。

明智光秀の生まれた場所

明智光秀が生まれた場所は、 岐阜県可児市広見・瀬田にある明智城といわれています。

これも諸説ありますが、美濃の生まれという説が有力となっており、明智城は、美濃源氏の流れをくむ土岐頼兼が「明智」として改名して築いた城です。

その後、200年にわたり明智家の城として栄えていったそうです。

2020年の『麒麟がくる』がスタートすれば、光秀ゆかりの地として多くの観光客が訪れそうですね。

明智光秀の父親は?

明智光秀の父親には、明智光綱、光国、光隆、頼明など多くの名前が挙がっていますが、いずれにしても明智城を本拠地とする武士であることは間違いなさそうです。

武士の子供として育った光秀は、父(光綱と仮定)が1535年に亡くなったため跡取りとなるが、まだ幼かったため光綱の弟である明智光安が後見人として明智家を支えたそう。

ドラマでは、西村まさ彦さんが演じていますね。

明智光秀と妻・煕子との逸話

明智光秀の妻は、煕子(妻木範煕女)で、享禄3年(1530年)頃誕生した長女であると言われています。

天文14年(1545年)に光秀と婚約するも、結婚直前に疱瘡を患ってしまい 左頬に傷跡が残ってしまいましたが、光秀はそれを気にせず妻として迎えいれたそう。

また、明智城が落城した際には 妊娠中の煕子を背負って、越前まで逃亡したという逸話も残っています。

3男4女の子供をもうけ、非常に夫婦仲は良かったそうです。

『麒麟がくる』では、木村文乃演じる煕子と光秀の感動秘話が、どのように盛り込まれるのか注目ですね。

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明智光秀と濃姫はいとこだった

光秀と濃姫はいとこ?!

斎藤道三の娘で後の織田信長の正室となる濃姫(帰蝶)は、なんと明智光秀といとこであると言われています。

濃姫の母である小見の方は、東美濃随一の名家である明智氏の出身であり、濃姫は小見の方の、たった一人の子供だったそうです。

小見の方は、明智光綱の娘(妹の説もある)とされており、光綱の子供である光秀の叔母にあたる人物です。

したがって、光秀と濃姫はいとこの関係にあったといわれています。

後に、上洛のため協力者を探し求めていた足利義昭のもとで、細川藤孝とともに織田家の交渉に当たったのも、濃姫と光秀がいとこ関係だったからと言われています。

ドラマでは濃姫を沢尻エリカさんが演じ、幼なじみという設定となっています。

長谷川博己さん演じる光秀と濃姫の関係も気になるところですね!

光秀が織田家の家臣になるまで

足利家の幕臣として細川藤孝とともに織田家の仲介役を担った光秀は、徐々に信長に接近していくことになります。

永禄11年(1568年)に足利義昭が上洛を開始することになった時には、光秀も京都に向かったといいます。

この時期より、足利家と織田家の仲介役をつとめ、両家の家臣となっていきました。

元亀2年(1571年)の比叡山焼き討ちのあと、光秀は近江国の志賀群を信長から与えられ織田家の完全な家臣となっていきました。

↓『麒麟がくる』相関図・キャスト・あらすじはコチラ↓

まとめ

謎の包まれる光秀の生い立ちから妻や濃姫の関係に迫ってみました。

諸説あるがゆえ、光秀という人物はいろいろとドラマチックに推測できるのも楽しいところ。

ドラマ『麒麟がくる』では、“裏切り者”といういうイメージが強かった光秀がどのような人物として描かれるのか期待しています。

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