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雅子さまの若い頃の写真が綺麗!エリート外交官から皇室に嫁ぐまで

皇室

皇太子夫妻のご成婚記念日で雅子さまをテレビで見たときに、子供の頃の私は、あまりの綺麗さに驚いた記憶があります。

その当時の小和田雅子さんの人気は凄まじいもので、テレビ中継された結婚の儀の最高視聴率は79・9%を記録しました。

皇太子にようやくお嫁さんが来たという嬉しさで国民が歓喜してから26年。

最近は、体調を崩されご公務などでお見かけする機会が減ってしまいましたが、新しい令和の時代には皇后になられます。

そんな節目の年に、改めて雅子さまの若い頃の写真を見ながら、その美しさを振り返ってみようと思います。

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雅子さまの華麗なる経歴!出身大学が凄い!

雅子さまが皇太子さまのお妃候補にあがったときは、こんなスーパーエリートの女性が皇室に入るなんてもったいないと、言われたほど、本当に華麗なる経歴の持ち主です。

雅子さま誕生

1963年(昭和38年)12月9日、東京に小和田恆(ひさし)・優美子夫妻の第1子(長女)として雅子さまが誕生します。

父親の恆さんは、外交官と東京大学講師の仕事に就き、母親はチッソ会長の長女で、

結婚前はエールフランスで秘書の仕事をするなど、上流階級の家庭で雅子さまはお育ちになります。

雅子さまには、3歳年下の礼子さん・節子さんという双子の妹がおられます。

幼少期は海外で生活

父親の仕事の関係で、1歳の頃にソビエト連邦(ロシア)、それからアメリカでも幼稚園時代を過ごしています。

そして帰国後は、母親のたっての希望で皇后美智子さまが雙葉小学校附属幼稚園に通園していた当時の担任教師が開いた塾に通い、

編入試験の勉強を一年経て、田園調布雙葉小学校に入学します。

この頃から、美智子さまと関わりのある雅子さま。何かしらの縁を感じますね。

田園調布雙葉小学校は、カトリック系の学校で、多くの良家の子女が通う名門校。

入試偏差値は69と高く、東大合格者も多く輩出する非常に優秀な学校として有名です。

高校2年から再びアメリカへ ハーバード大学入学

高校2年生に頃に父親の仕事で再び、アメリカへ。

高校は、ボストンのベルモント・ハイスクールへ編入し、そこで最優等学生に選ばれ、

アメリカ政府が国の上位5%の生徒に贈る「ナショナル・オーナー・ソサイティー」を受賞します。

アメリカの学生の5%に編入してきた日本人が入るなんて、相当なレベルだと思います。

幼少期の海外生活のおかげで、語学力も英語だけでなくドイツ語も素晴らしかったようです。

そして大学はハーバード大学経済学部へ。

ハーバードといえば、 大学ランキングでは常に、最上位にランクされるアメリカ屈指の名門校です。

その全世界から優秀な学生が集まる中で、雅子さんは卒業論文は評価され、マグナ・クム・ラウデ、優等賞を受賞しています。

その論文を完成させるために、毎晩遅くまでパソコンで作業していたそうで、相当な努力家だったことが分かります。

女性初のキャリア官僚として外務省へ

ハーバード大学を卒業後は日本に帰国し、外交官を志し、外交官試験に合格し、外務省入省が決まります。

この当時、 女性初のキャリア官僚 スーパールーキーと話題になったほど、女性が外務省に入省することは珍しいことでした。

時はバブルの時代、皆ががむしゃらに働き、女性だからといって特別扱いもされず、雅子さんは深夜まで激務をこなし続けました。

そして、外務省に5年ほど勤めた頃、皇太子のお妃候補と報道され、マスコミの報道が過熱し、世間の関心も高まっていくのです。

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若い頃の雅子さまが綺麗!皇太子さまとのご婚約

皇太子さまのお妃候補として報道されると、「やっと皇太子さまにお嫁さんが来てくれる。」と国民が歓喜します。

独身の時の雅子さまの愛車がトヨタ・カローラIIであると分かれば、飛ぶようの売れたり、

雅子さまの実家に通じる道路には「プリンセス通り」と呼ばれるほど、注目されていました。

非の打ちどころのない完璧な女性

その当時に振って沸いたお妃候補の報道。

しかもその女性は、海外留学、帰国子女、バイリンガル、キャリアウーマンというバブルに日本で流行していた言葉がすべて当てはまるような女性。

海外生活も長く、語学堪能で聡明な雅子さんが皇室に新風を吹き込んでくれると期待されていました。

しかし、雅子さまは「外務省をやめるつもりはありません。」と周囲に漏らしており、一度は皇太子さまの申し出を断るも、

皇太子殿下の熱烈なプロポーズに根負けして、外務省でのキャリアを捨てたのです。

皇太子さまのお言葉と皇室からの説得

雅子さまが、皇室に入ることを決意されたことに、まずは皇太子さんのプロポーズの言葉にあります。

「僕が雅子を一生、全力でお守りします。」

「外交官として働くのも、皇室の一員になるのも、国のために働くという意味では同じではないですか」

外交官を辞めたくなかった雅子さまでしたが、将来、日本の天皇になる人にこんな言葉を言われては断れない気もします。

そして、皇室関係者からの説得も、仕事熱心な雅子さまには魅力的な言葉でした。

「皇室外交の担い手になって、海外のご公務に精力的に活動してほしい。」

これまでの雅子さまのキャリアや能力を生かし、仕事が続けられるのでは?と思い

皇室に嫁がれることを決意したのです。

このころは、美人で育ちが良く年齢も近い、紀子さまと比べられるような報道もよくなされていましたね。

皇室で生かせない能力「人格否定発言」

世紀のロイヤルウェディングを終え皇室の入り、バリバリ海外ご公務をこなそうとしていた雅子さまですが、

皇室が望むことは、“お世継ぎ問題”ばかり。

自分を表現し、能力を最大限発揮して表に立つことは皇室らしくない振る舞いとされ否定されることばかり。

海外生活で国際派と呼ばれていた雅子さまと、伝統と慣習に厳格な宮内庁との間でいつからか、ひずみが生まれ、

雅子さまは、適応障害と診断されて長期ご療養に入られました。

それに加え“「お世継ぎ”となる男子を産めなかった上に、海外訪問ばかりを望み、公務を休み続けている」とのバッシングを受け、

皇太子さまは、 「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と異例の発言したのです。

療養から15年新皇后へ

雅子さまは適応障害で長期ご静養に入られて15年たちました。

現在はかなり回復されていますが、ご病気になられる前の輝いてた時代の状態に戻られたとは言えません。

現・皇后美智子さまからのバトンタッチ後は、新皇后の雅子さまを待ち受ける儀式やご公務の重圧ははかりしれません。

現在、秋篠宮家と相談しながら今後のご公務の調整をしているようです。

美智子さまからも、お優しい言葉をかけられ新・皇后になられることを前向きにとらえられているという報道もあります。

まとめ

令和という新時代を迎え、次期皇后なる雅子さま。

最近では、世界の子供たちの貧困や難民の状況について関心を寄せているそうです。

皇太子夫妻の時代には、雅子さまのキャリアを活かせ、時代に沿った皇室になれば良いですね。

そして、独身時代のようなキラキラとした雅子さまをもう一度みられることを期待しています。

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