皇太子様と雅子様の馴れ初めは?プロポーズの言葉が素敵すぎる!

皇室

皇太子様と雅子様の馴れ初めをご存知でしょうか?ご結婚パレードのイメージはありますが、意外にもお妃になった経緯は知られていません。調べてみると、とても心温まるエピソードが多くありましたので、まとめてみました。

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皇太子様と雅子様の馴れ初め・出会い~ご結婚まで

皇太子様と雅子様の馴れ初めをまとめてみました。

皇太子さまの理想の女性

皇太子さまが大学生の頃に理想の女性として語っていたのは、「控え目だけれども、芯がある女性」。

14歳の頃からお妃候補の報道がされるほど、ご結婚を期待されていた皇太子さま。

それは同級生が女性との出会いをお手伝いするほどでした。

しかし、同級生が設定した女性との交流の場では、皇太子さまに尻ごみし近づく女性はいなかったそうです。

皇太子さま雅子さまとの初めての出会い

1986年10月に、スペインのエレナ王女を迎えた東宮御所でのパーティーに小和田雅子さんの一家が招かれます。

小和田さん一家は、将来のお妃候補の顔見せとして招待されたとは知らず、雅子さまの外交官としての経験を積むためにパーティーに出席しました。

事前に雅子さまの人柄を聞いていた皇太子さまは、雅子さまと実際のお会いして好感を持ちます。

雅子さまが22歳の頃でした。

将来のお妃候補としてマスコミがスクープ

パーティーでお会いしてから、その後も食事会や会食で何度かお会いしていた皇太子様と雅子様。

それは、雅子様を「この人ならお妃になれる」と評していた、高円宮憲仁親王のはからいで実現されたものでした。

そして、関係者の取材で 「陛下が心動かされたのは雅子様だけ」という報道がなされ、

スクープ記事が出てからは、雅子さまの職場にマスコミがおしかけるほどでした。

しかもお相手は、海外留学、帰国子女、バイリンガル、キャリアウーマンというバブルに日本で流行していた言葉がすべて当てはまるような女性。

騒がれるのも無理がない非の打ちどころのない女性でした。

雅子様の華麗なるキャリアは以下に記事にまとめています。

マスコミから逃れるように雅子さまイギリスへ留学

雅子さまは、外交官としてバリバリ仕事をしており、お妃候補の報道にウンザリしていました。

そんな報道から逃れるように、外務省のイギリス研修へ旅立ちます。

しかし、あきらめきれないマスコミは、なんとイギリスまで追いかけ、雅子さまの取材に成功します。

そこで雅子さまが語ったことは 「とにかくお妃候補には関係していませんし、外務省もやめるつもりはない。」

とキッパリ自分の口から宣言します。

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あきらめきれない皇太子さま

雅子さまにお妃の可能性が無くなったマスコミは、それから毎年のように皇太子さまに、「理想の女性に出会えましたか?」と質問するも、

「理想の女性に会えたかもしれないし、会えなかったもしれない。」と答えるばかりでした。

しかし、その裏で宮内庁長官には、「やはり雅子さんでなくては」と伝えていたようです。

そして、再び皇太子さまは「小和田雅子さんではだめでしょうか。」と東宮関係者に伝え、

これに答えるように、皇太子様と雅子様が二人っきりで会えるようにセッティングをします。

マスコミに知られないように、皇太子様は、ワンボックスカーに乗り込み毛布や段ボールで隠され、

千葉の新浜鴨場に到着すると、雅子様とデートすることに成功します。

そこで、皇太子さまは雅子さまに 「わたくしと結婚してくれますか?」とプロポーズします。

皇太子様は、雅子さまのキャリアもお考えになり、 「外交官として仕事をするのも、皇族として仕事をするのも国を思う気持ちに変わりはないはず。」と説得します。

しかし、雅子さまは仕事をやめることに悩み即答は避けました。

皇太子さまの心温まるお言葉

皇太子さまの真摯な言葉や、人柄に心惹かれ、雅子さまにも結婚願望が芽生えてきます。

その当時は、女性は外務省では課長以上に出世できない現実がることも分かったきた頃でした。

あまりに揺れ動く心に悩んだ雅子さまは体調を崩し、仕事を10日間も休んだほどでした。

悩む雅子さまに1か月後、皇太子さまより

「皇室に入られることにはいろいろ不安もおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」

という後の記者会見で有名になったお言葉を、雅子さまに伝えました。

↓雅子さまが初のドラマ化されます。↓

雅子さま結婚承諾

12月9日の雅子さまの誕生日には午前0時に電話をし、誰よりも早くお祝いの言葉を贈り、

その熱意に心動かされた雅子さまは、結婚を承諾するのです。

その時の言葉も、とても素敵なものでした。

「本当に私でよろしいのでしょうか」と雅子さまが、皇太子さまに尋ねると、「はい。」という返事が返ってきて、

雅子さまは、 「お受けいたします限りは、殿下にお幸せになっていただけるように、

そして、私自身もいい人生だったと振り返られるような人生にできるように努力したいと思います。」と答えたそうです。

そうして出会いから6年たち皇太子様と雅子様は結婚することになったのです。

弟の秋篠宮さまと紀子さまの馴れ初めは以下の記事にまとめてありますので、ご覧ください。

まとめ

皇太子さまが6年の歳月をけて、射止めたお妃雅子さま。

最初に“この人!”と決めてからのブレない思いと、優しい真っ直ぐなお言葉が、雅子さまの心を動かしたのですね。

令和の時代になり、天皇・皇后になられても、お二人らしい皇室を築いて下さればと思います。

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  1. RURUNA

    雅子さまも紀子さまのご結婚までの馴れ初めはどちらも心引かれました。紀子さまご夫婦は、若い普通の恋愛の延長線のような感じにまた、雅子さま陛下の心から好きになる一途な想いに自分をこんなに必要とされてるという女性としての心が揺れ動きゆっくり始まった感じでありながらも夫婦になるにはこんな感じも恋愛の延長せんより大人の恋愛みたいで良いと感じました。腹をくくるのも皇室に入るための皇后様の強い意志がないとならなくお世継ぎなどもあるなかかなりの困難を覚悟してご結婚されたんだな!と思いました。紀子さまはふわっとしたまま若さのあまりの皇室に入るトイウコトニなり苦労を重ねて行くうちに落ち着きが見られて行きましたね。
    しかし雅子さまは、はじめから皇室になり陛下を支えてお世継ぎというプレッシャーにおしつぶされそうでも陛下の優しいさにつつまれて幸せになれたんだな!と深く感じます。愛子さまを宿し産み母になり困難があってもたおやかに生きていられたのは、暖かい陛下と結婚できたからこそたち位置もお二人とも同じように見えました。紀子さまは、結婚して行くうちに子供の母になり親としての厳しさをやはり見えてしまうところもありそんなところは、どんな親でも不器用になってしまうんだな!とかんじました。
    笑顔でさらっと対応しきれない娘様の心配にも陛下にやはり一歩下がり自分の意見がのべれないように見えました。紀子さまは、やはり当人どうしの幸せを何より考えている気持ちを佳子さまには伝わり不器用な母の代わりにきちんとしたいけんがいえたのかな?とおもいました。どちらも幸せな結婚ですが、やはり私なら陛下みないな方に幸せにしてもらいたいと思いました。雅子さまは、世界一幸せな女性ですね!愛子さまは、柔らかな家庭に育てられてきたからこそ柔らかい優しい笑顔が素敵なんですね!