『エール』福島三羽烏の実在モデル!佐藤久志や村野鉄男は誰?

朝ドラ

朝ドラ『エール』では、裕一と共に音楽の世界へ羽ばたく、幼なじみの佐藤久志(山崎育三郎)、村野鉄男(中村蒼)との友情も見どころの一つですよね。

実は、この三人は実在モデルがおり、“福島三羽烏(ガラス)”と呼ばれ親しまれていました。

そこで今回は、『エール』をもっと深く知るために、福島三羽烏の実在モデルについてご紹介いたします。

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『エール』福島三羽烏(ガラス)の実在モデル

『エール』では、主人公の古山裕一は作曲家の古関裕而さん、佐藤久志は歌手の伊藤久男さん、村野鉄男は作詞家の野村俊夫さんをモデルに描かれています。

キャスト 実在モデル
古山裕一
(久保田正孝)
呉服屋の長男
古関裕而
作曲家
佐藤久志
(山崎育三郎)
県議会議員の息子
伊藤久男
歌手
村野鉄男
(中村蒼)
魚屋「魚治(うおはる)」の長男
野村俊夫
作詞家

“福島三羽ガラス”と呼ばれた彼らのキャラクターは、三者三様ですが、前半の下積み時代から三人でヒット曲を生み出す後半まで、全編で熱い友情が描かれます。

“三羽烏(サンバガラス)”とは?

“三馬烏”とは、各界において特に優れた3人を指す言葉として用いられます。

ボクシング界では、辰吉丈一郎、鬼塚勝也、ピューマ渡久が “平成の三羽烏”と呼ばれたり、落語界では、 月亭可朝、3代目笑福亭仁鶴、桂三枝が “70年代若手三羽烏”などと称されています。

世の中に次々とヒット曲を提供してきた『エール』実在モデルの古関裕而(作曲家)、伊藤久男(歌手)、野村俊夫(作詞家)は、同じ福島県出身で、当時の日本コロムビア株式会社に所属していたため “福島三羽ガラス”または“コロンビア三羽烏”と呼ばれていたのです。

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古関裕而・佐藤久志・村野鉄男の実在モデルを簡単に

では、三人の実在モデルが どんな方だったのか、簡単にみてみましょう。

古山裕一モデルは古関裕而さん

古関裕而さんは、 1909年(明治42年)8月11日に 福島県福島市大町生まれ。

生家は、 「喜多三(きたさん)」という呉服店を営んでおり、番頭、小僧を十数人も抱える市内有数の老舗店として繁盛していました。

10歳で楽譜が読めるようになり、卓上ピアノで作曲を始め、クラスの友人から作曲の依頼を受けるようになります。

古関さん20歳のときに、愛知県に住む金子さん18歳と結婚し、コロムビアの顧問山田耕筰の推薦で、専属作曲家として、夫婦で上京します。

26歳の頃に作曲した「船頭可愛や」が大ヒットし、作曲家への道が開けました。

日中戦争から太平洋戦争頃は、「露営の歌」などの戦時歌謡曲(時局歌)、鎮魂歌「長崎の鐘」、「鐘の鳴る丘」、「とんがり帽子」を作曲。

ラジオドラマが開始されてからは、テーマ曲のみならず挿入歌も担当し、「山から来た男」、「鐘の鳴る丘」、「さくらんぼ大将」、「君の名」などヒット作を多く生み出していました。

↓古山裕一の実在モデルは古関裕而について詳しくは以下の記事で↓

↓『エール』関内音のモデルは古関金子!才能ある声楽家であり過干渉な母?!↓

佐藤久志のモデルは伊藤久男さん

1910年(明治43年)7月7日、福島県本宮市生まれ。

父は県会議員を務めるなど、大変裕福な家庭であり、当時はまだ珍しかったピアノに親しみました。

しかし、音楽の道に反対されていたため、東京農業大学に入学することでカモフラージュして上京し、同じ福島出身の 古関さんと出会うのです。

『エール』では、古関さんと幼なじみの設定ですが出会いは高校卒業後で、福島ではなく東京だったのですね。

家族には内緒で、東京農業大学を退学し帝国音楽学校に入り、コロムビアで合いの手などの吹きこみのアルバイトを始めます。

これが、作曲家やディレクターたちの耳にとまり、古関裕而の勧めもあって、23歳のときに 「伊藤久男」の名で歌手デビュー。

戦中、戦後に古関さんが作曲した「露営の歌」「続露営の歌」「イヨマンテの夜」、夏の高校野球で歌われる「栄冠は君に輝く」も伊藤さんが歌唱しました。

古関さんの哀愁あるメロディに、伊藤さんが感情をのせてうたう叙事詩的な歌は人気を博しました。

性格は豪快で 大酒のみでしたが、一方で異常なまでの 潔癖症であったことが知られています。

↓久志に恋する藤丸の実在モデル↓

村野鉄男のモデルは野村俊夫

野村俊夫(本名は鈴木喜八)さんは、1904年福島県大町市に魚屋「魚忠」の三男として誕生します。

古関さんより、年齢は5歳年上ですが、同じ町の生まれとあって、 近所のガキ大将として一緒に遊ぶ仲でした。

魚屋の経営が傾き、家庭の事情で奉公に出るも、奉公先で新聞や雑誌に俳句・詩をペンネーム“野村俊夫”の名で投稿するように。

その後、家業を手伝いながら勉強に励み、福島民友新聞社で働くようになります。

新聞記者として働きながら、詩を書くことも続け、昭和6年に古関さんの誘いで上京。

そして野村さんが作詞した「福島行進曲」に古関さんが曲をつけ、日本コロムビアでレコードレビュー。

昭和14年には、「上海夜曲」「ほんとにほんとに御苦労ね」がヒット。

「ほんとにほんとに御苦労ね」は、戦地の酒盛りで歌われ、戦後はドリフターズが替え歌をしたことで、再びヒットしました。

お酒を全く受け付けない古関さんと違い、酒豪だった野村さんは、同じく酒好きの伊藤久男さんとよく飲み歩いていたそうです。

↓村野の恋の相手・希穂子の実在モデル↓

「暁に祈る」は福島三羽烏の大ヒット曲

 

昭和15年陸軍が映画を制作するにあたり、日本コロムビアが主題歌「暁に祈る」を担当することになりました。

野村俊夫さんが作詞し、古関裕而さんが作曲を手がけ、伊藤久男さんが歌うことになったのです。

曲の出だし「ああ、あの顔で、あの声で」という歌詞は、野村さんが7度も歌詞を書き直した苦しみから生まれたものです。

しかし、古関さんは「ああ」のメロディをどう付けるか悩んでいましたが、妻・金子の詩吟を聞きメロディが閃き、無事に曲が完成しました。

映画はヒットしませんでしたが、伊藤久男が歌いあげた 「暁に祈る」は空前の大ヒット。

内務省の検閲ブラックリストの常連だった野村さんは、「暁に祈る」のおかげでマークされることもなくなったそうです(笑)。

↓『エール』キャスト一覧・相関図・追加キャスト・子役を総まとめ↓

最後に

裕一の幼なじみである、久志、鉄男の“福島三羽烏”の実在モデルが分かりました。

『エール』では、この三人の友情と共に、人々の心に響く曲がどのように生まれていくのかも楽しみしたいですね。

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